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【東方Projectの全歴史】たった一人の同人ゲームが30年愛され続ける理由!日本のネット文化まで変えた伝説

【東方Projectの全歴史】たった一人の同人ゲームが30年愛され続ける理由!日本のネット文化まで変えた伝説

今では「東方Project」と聞けば、博麗霊夢や霧雨魔理沙といったキャラクターを思い浮かべる人もいれば、弾幕シューティングや数え切れないほどのアレンジ楽曲を連想する人もいると思います。あるいは原作を遊んだ経験がなくても、「ゆっくり実況」を通して東方の存在を知った人も少なくありません。

それほど巨大な文化へ成長した東方Projectですが、その始まりは驚くほど小さなものでした。

時代を遡ること1990年代半ば。当時、東京電機大学のゲーム制作サークル「Amusement Makers」に所属していた一人の学生が、自分の手でゲームを作っていました。その人物こそ、後に東方Projectを生み出すことになるZUN氏です。

しかも、ゲームのプログラムだけを担当していたわけではありません。幼い頃からゲームと音楽に惹かれていたZUN氏は、独学でプログラミングを身につけながら、ゲームに使用する音楽まで自分で制作していました。現在まで続く「一人のクリエイターがゲームと音楽の両方を作る」という東方Projectの原型は、この学生時代からすでに生まれていたことになります。

そして1996年11月、PC-98向けに制作された最初の作品『東方靈異伝 ~ Highly Responsive to Prayers.』が発表されました。

現在の東方Projectから弾幕シューティングを想像すると意外ですが、『東方靈異伝』は後の作品とはかなり異なります。画面内を跳ね回る陰陽玉を利用して敵やパネルを攻撃していく、ブロック崩しに近いシステムを採用していました。つまり、最初から現在の東方Projectが完成していたわけではなく、試行錯誤しながら少しずつ形を作っていったわけです。

大きな転機となったのが、翌1997年に登場した第2弾『東方封魔録 ~ the Story of Eastern Wonderland.』でした。

この作品から縦スクロール型のシューティングへ移行し、画面を大量の弾が埋め尽くす「弾幕」という、後のシリーズを象徴する遊びが姿を現します。ただ弾数が多いだけではなく、比較的ゆっくり迫ってくる弾の軌道を見極め、その隙間を縫うように避けていく。さらに弾そのものが模様を描くように配置されるため、攻略する面白さと視覚的な美しさが同時に成立していました。

その後もZUN氏は制作を続け、『東方夢時空 ~ Phantasmagoria of Dim.Dream.』『東方幻想郷 ~ Lotus Land Story.』、そして1998年の『東方怪綺談 ~ Mystic Square.』まで、PC-98向けに合計5作品を発表します。

現在では、この5作品はまとめて「旧作」と呼ばれています。

興味深いのは、この時点ですでに後の東方Projectにつながる要素がかなり揃っていたことです。大量の弾が作り出す美しい弾幕、FM音源による独特の楽曲、そして他のゲームではなかなか味わえない世界観。現在ほど巨大なファン層を持っていたわけではありませんが、東方ならではの個性はPC-98時代から少しずつ形になっていました。

ところが、シリーズはここで一度止まります。

1999年、大学を卒業したZUN氏はゲーム会社へ就職し、プロのゲーム開発者として働き始めました。当然ながら会社員としてゲームを作りながら、個人でも作品を完成させ続けるのは簡単ではありません。『東方怪綺談』を最後に個人制作は中断され、東方Projectはしばらく表舞台から姿を消すことになります。

この時点だけを見れば、一人の学生が大学時代に作った同人ゲームが、そのまま静かに終わっていても不思議ではありませんでした。

実際には、ここで終わらなかったからこそ現在の東方Projectがあります。

数年間の沈黙を経てZUN氏の中に再び「自分の作品を作りたい」という思いが強くなり、その衝動が後にシリーズ最大級の転機を生み出します。東方Projectという名前を同人ゲームの枠を越えて広げることになるWindows時代が、そこから始まるのです。

4年間の沈黙を破って復活!『東方紅魔郷』がシリーズの運命を変えた

一度は制作から離れたZUN氏でしたが、会社員としてゲーム開発に携わるなかで、「自分の作品をもう一度作りたい」という気持ちは次第に強くなっていきました。

プロの現場でゲームを作れる環境に身を置いていても、そこで任された仕事と、自分が本当に作りたいものを形にすることは同じではありません。仕事が終わった後や休日を使ってでも、自分の手で作品を完成させ、それを直接ユーザーへ届けたい。そんな創作への欲求が再び膨らんでいったことで、止まっていた東方Projectの時間も動き始めます。

そして2002年、ZUN氏は個人サークル「上海アリス幻樂団」として活動を再開しました。

ただ、最初から「東方Projectを復活させよう」と綿密に計画していたわけではなかった点が面白いところです。当初は音楽を中心に活動するつもりだったものの、冬のコミックマーケットに落選したことで夏まで時間が空き、それならゲームを作ろうという流れになったとされています。約4年間止まっていたシリーズが再び動き出した背景には、そんな偶然も絡んでいました。

そこで生まれたのが、2002年8月にコミックマーケット62で頒布されたWindows版第1作『東方紅魔郷 ~ the Embodiment of Scarlet Devil.』です。

現在の東方Projectを知っている人にとって、この作品が持つ意味はかなり大きなものがあります。

主人公には博麗霊夢と霧雨魔理沙が据えられ、舞台となる幻想郷には人間だけでなく、妖怪をはじめとした現実世界から忘れ去られつつある存在が暮らしている。外の世界とは隔てられた場所で異変が発生し、霊夢や魔理沙がその原因を追っていくという、現在まで受け継がれる東方Projectらしい形がはっきりと見えるようになったからです。

もちろん、魅力は世界観だけではありません。

画面を鮮やかに埋め尽くす弾幕、それを紙一重で避けていく緊張感、場面やキャラクターの印象を強烈に残す音楽。しかも、プログラムやグラフィック、楽曲まで基本的にZUN氏が一人で手掛ける制作スタイルも変わっていませんでした。

普通なら、一人で担当する範囲が広くなるほど、それぞれの要素にばらつきが生まれても不思議ではありません。ところが東方Projectの場合、同じ人物がゲーム全体を作っているからこそ、弾幕、音楽、キャラクター、世界観が独特の感覚で結びついています。

弾幕を避けながら曲を聴き、ボスとの会話を挟んで再び戦闘へ入る。その一連の体験がバラバラではなく、一つの作品としてまとまっていることが、東方ならではの個性につながっていったと考えられます。

さらに『東方紅魔郷』には、もう一つ大きな変化がありました。

PC-98からWindowsへプラットフォームが移ったことで、それまでより多くの人が作品へ触れられるようになったのです。旧作から追いかけていたファンだけではなく、新しく東方Projectを知ったプレイヤーも増え、上海アリス幻樂団は同人シューティングゲームの世界で急速に存在感を高めていきました。

しかも、勢いは『東方紅魔郷』だけで終わりません。

2003年には『東方妖々夢 ~ Perfect Cherry Blossom.』、2004年には『東方永夜抄 ~ Imperishable Night.』が続きます。Windows版の作品が増えるにつれてファン層も広がり、復活からわずか数年で東方Projectは同人ゲームを代表するシリーズの一つへ成長していきました。

ここで重要なのは、単純に「人気ゲームが3本続いた」という話ではありません。

作品が増えるたびにキャラクターや楽曲、幻想郷という世界そのものが膨らみ、それを受け取ったファンにも「この世界でもっと何かを作りたい」と思わせる余地が生まれていました。

東方Projectのキャラクターには性格や能力といった分かりやすい特徴がある一方、普段どのように過ごしているのか、キャラクター同士がどんな関係を築いているのかといった部分まですべて細かく説明されているわけではありません。その語られすぎていない部分を、ファンが自分なりに想像できたことも、二次創作が広がっていく土壌になりました。

実際、2004年4月には東方Projectオンリーの同人誌即売会「博麗神社例大祭」が初開催され、114サークルが参加しています。一人のクリエイターが作ったシューティングゲームの周囲に、別のクリエイターたちが集まり、それぞれの解釈で作品を生み出す。その循環が、すでにこの時期から形になり始めていたのです。

そして、この「ファンが続きを作り続ける」という東方Project特有の文化は、2000年代後半にとんでもない爆発を起こします。

その舞台になったのが、当時の日本のインターネット文化そのものを変えつつあった「ニコニコ動画」でした。

ニコニコ動画で人気が爆発!原作を遊んでいない人まで東方に夢中になった理由

東方Projectの二次創作文化が育ち始めたところへ、これ以上ないほど相性のいい場所が現れます。

2006年にサービスを開始した「ニコニコ動画」です。

2007年前後になると、ユーザーが投稿した動画に視聴者がコメントを書き込み、同じ映像を大勢で楽しむという独特の文化が急速に広がっていきました。動画を見て終わるのではなく、気に入った曲やネタがあれば別の誰かがアレンジし、それを使ってさらに新しい動画を作る。そんな連鎖が起こりやすい環境と、すでに二次創作が活発だった東方Projectが重なったことで、一気に状況が変わります。

その中心にあったのが「音楽」でした。

東方Projectには、ゲームを遊んでいる最中に強く印象へ残る楽曲が数多くあります。しかもファンによるアレンジも以前から盛んで、原曲をロックやポップスなど別の方向へ作り替えたり、歌詞を付けたりする文化がすでに形成されていました。

そこへニコニコ動画という巨大な発表場所が加わります。

象徴的な存在となったのが、同人音楽サークルIOSYSによるアレンジ楽曲を使った「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」です。耳に残るフレーズと映像が組み合わさった動画は急速に再生数を伸ばし、それまで同人音楽を追いかけていなかった層にまで東方アレンジという文化を広げるきっかけになりました。

この流れは、一つのヒットだけでは終わりません。

「チルノのパーフェクトさんすう教室」や「ナイト・オブ・ナイツ」をはじめ、東方Projectを題材とした楽曲や動画が次々と注目を集めていきます。ニコニコ動画を当時見ていた人なら、東方Projectを遊んだ経験はなくても、これらの曲をどこかで耳にしたことがあるというケースも珍しくなかったはずです。

ここに、東方Projectが普通のゲームシリーズとは違う広がり方をした理由が見えてきます。

一般的なゲームの場合、まず商品を購入して遊び、そこからキャラクターや音楽を好きになるという順番になりやすいものです。ところが東方Projectでは、この入口が逆転していました。

ニコニコ動画で曲を知り、動画に登場するキャラクターが気になり、そのキャラクターについて調べているうちに原作へたどり着く。あるいはアレンジ楽曲だけを聴き続け、ゲーム自体は遊ばないまま東方を好きになる人も出てきます。

つまり、原作を購入していない人まで「東方を知っている人」になっていったわけです。

これはシリーズの知名度を広げるうえで、かなり大きな意味を持っていました。

しかも、東方Projectの面白いところは、そこで新しく入ってきたファンが受け手のままとは限らなかった点にあります。

好きな楽曲をアレンジする人が現れれば、キャラクターを描く人もいる。それを素材に動画を作る人がいて、動画を見た別の誰かが東方を知る。そこで興味を持った人が、今度は自分で新しい作品を作り始めることもありました。

原作からファンへ一方向にコンテンツが届けられるのではなく、ファンからファンへ作品が渡り、その過程で新しいものが次々と生まれていく。東方Projectは、そんな循環によって巨大になっていったシリーズでもあります。

その勢いは、ネット上だけに収まる規模ではなくなっていきました。

2009年の夏のコミックマーケットでは「東方Project」という独立したジャンルコードが設けられ、東方関連作品を頒布していたサークルは1,739に達します。一人のクリエイターが始めたゲームの周囲に、千を超える創作者たちが集まるまでになっていたのです。

そして、ニコニコ動画を中心とした東方ブームの中から生まれたものには、ゲームや音楽の範囲をはるかに越え、現在のYouTubeにまで残っているものがあります。

今ではゲーム実況だけでなく、ニュース、歴史、料理、鉄道、解説動画など、まったく異なるジャンルでも使われている「ゆっくり」です。

あまりにも広く定着したため、東方Projectとの関係を知らずに見ている人もいるかもしれません。しかし、そのルーツを辿っていくと、霊夢や魔理沙を題材にした二次創作文化へ行き着きます。

東方Projectが日本のネット文化に残した影響を考えるうえで、この「ゆっくり」の誕生は外すことのできない出来事になります。

実は「ゆっくり実況」も東方から生まれた!ネット文化を変えた二次創作の力

ニコニコ動画で東方Projectの知名度が急速に広がっていた2000年代後半、その流れからもう一つ、後のネット文化へ大きな影響を与える存在が生まれました。

現在ではYouTubeを中心に当たり前のように見かける「ゆっくり」です。

丸くデフォルメされた顔に合成音声を組み合わせ、霊夢と魔理沙が掛け合いながらゲームを実況したり、さまざまなテーマを解説したりする。あまりにも一つの動画形式として定着しているため、東方Projectを知らない人にとっては「ゆっくり」という独立したキャラクターのように見えるかもしれません。

ところが、そのルーツを辿っていくと、東方Projectの二次創作へ行き着きます。

始まりは、現在のような動画ですらありませんでした。

東方キャラクターを題材にしたイラストがネット掲示板へ広がり、画像を直接扱いにくい場所では、霊夢たちを文字だけで表現したアスキーアートが作られるようになります。その過程で頭部を大きくデフォルメした表現が生まれ、さらに「ゆっくりしていってね!!!」という言葉が加わったことで、後に「ゆっくり」と呼ばれる存在へ発展していきました。

面白いのは、この時点でも一人の作者だけによって完成したものではなかったことです。

誰かがイラストを描き、それを見た別の人がアスキーアートへ置き換え、さらに別の人が形を変えていく。そうやって複数のユーザーによる改変を繰り返しながら、現在につながる姿が少しずつ出来上がっていきました。

まさに、東方Projectそのものが大きくなってきた過程とよく似ています。

そして2008年になると、ネット上で広がっていた「ゆっくり」に大きな変化が起こります。

同年2月16日に投稿されたゲームのプレイ動画では、ゆっくりのキャラクターに棒読みの合成音声を組み合わせる表現が使われました。これが、後に「ゆっくり実況」と呼ばれる動画形式の原点の一つとされています。

ここからの広がり方は、さらに凄まじいものでした。

合成音声なら、投稿者本人が声を出さなくても実況動画を作れます。それでいて、ただ機械音声を流すだけではなく、特徴的なキャラクターを画面に置けば「誰が話しているのか」も分かりやすい。霊夢と魔理沙のように複数のキャラクターを使えば、一人で作った動画でも会話形式にできます。

ゲーム実況との相性が良かったのはもちろんですが、その仕組みは実況以外にも使えました。

怪談を読み上げる、料理を紹介する、鉄道について解説する。扱う題材を変えるだけで、同じ形式をほとんど別ジャンルへ持ち込めます。こうして「ゆっくり」は東方Projectのファンコミュニティから飛び出し、ネット動画全体で使われる表現へ変わっていきました。

ここまで来ると、東方Projectが日本のネット文化へ与えた影響の大きさも見えてきます。

東方Projectそのものを知らなくても、ゆっくり実況を見たことがある。原作を遊んでいなくても、霊夢や魔理沙の顔には見覚えがある。そんな人が大量に生まれたことで、原作の外側にまで東方Project由来の表現が浸透していったからです。

しかも、この時期の勢いはネット上だけの現象ではありませんでした。

ニコニコ動画で東方Projectを知った人が原作へ興味を持ち、そこから音楽やイラスト、漫画などの二次創作へ触れていく。さらに自分でも何か作ってみたいと思った人が創作者側へ回ることで、同人イベントの規模まで膨らんでいきます。

2009年夏のコミックマーケットでは、ついに「東方Project」のジャンルコードが新設されました。

それまで「同人ソフト」という大きな括りに含まれていた一作品が、コミックマーケットで独立したジャンルとして扱われるようになったわけです。しかも、このとき東方Project関連の作品を頒布していたサークルは1,739に達していました。

1996年には、一人の大学生がPC-98向けに作っていたゲームでした。

それが十数年後には、千を超えるサークルが作品を作り、原作を遊んだことのない人までキャラクターや音楽を知っている巨大な文化になっています。

ここまで規模が膨らんだ理由を考えると、東方Projectでは「原作者が新作を出すこと」だけがシリーズを動かす力ではなかったことが分かります。

ZUN氏が原作を作り、そこから受け取ったものをファンが音楽やイラスト、漫画、動画へ変えていく。その二次創作を見た人が東方Projectを知り、さらに別の作品を生み出していく。

原作が中心にありながら、その周囲では無数の人がそれぞれの東方Projectを作っている。この構造が出来上がったことで、一時的なブームだけでは説明できないほど巨大な文化圏へ成長していったのです。

ただ、どれだけ大きなブームでも、永遠に同じ勢いが続くわけではありません。

2010年代へ入るとネットを取り巻く環境そのものが変わり、東方Projectにも新しいライバルが現れます。特に2013年に登場した『艦隊これくしょん -艦これ-』は、キャラクターと二次創作を中心に広がるという意味でも東方と近く、同人界隈の勢力図を大きく動かす存在になっていきました。

東方Projectはオワコンになったのか?艦これの登場と人気低下を乗り越えた転換期

ニコニコ動画を席巻し、コミックマーケットでは一つの巨大ジャンルとして扱われるまでになった東方Project。ただ、ここまで大きくなったからといって、その勢いがいつまでも同じように続いたわけではありません。

2010年代に入ると、東方Projectを取り巻く環境そのものが大きく変わり始めます。

それまで東方Projectは、CD-ROMという物理メディアで作品を頒布し、同人ショップでも販売するという、昔ながらの同人ゲームらしい形を長く守っていました。一方、世の中ではSteamによるPCゲームのダウンロード販売が広がり、スマートフォンも急速に普及しています。

ゲームを店頭やイベントで買う時代から、インターネットを通じて手軽に入手する時代へ移りつつあるなかでも、東方Projectは良くも悪くも従来のスタイルを続けていたのです。

そこへ2013年、強烈な存在感を持つタイトルが登場します。

ブラウザゲーム『艦隊これくしょん -艦これ-』です。

艦これは実在した艦艇をキャラクター化し、ファンによる二次創作が次々と生まれていくという、東方Projectと重なる部分を持っていました。しかし大きく違っていたのは、最初からインターネット上で遊べる基本無料のゲームとして展開されていたことです。

物理メディアを入手し、PCへインストールして遊ぶ東方Projectに対して、艦これはブラウザから気軽に始められる。この違いは、ゲームを取り巻く環境が変化していた2013年という時代において、決して小さなものではありませんでした。

そして実際に、コミックマーケットにおける東方Project関連サークルの勢いにも変化が現れます。

東方Projectは2013年頃を境にサークル数が緩やかな減少へ転じる一方、艦これを扱うサークルは急速に増加していきました。あれほどネット上を席巻していた東方にも、ついに世代交代が訪れたのではないか。そんな空気から「東方はオワコン」といった言葉まで見られるようになります。

ただ、その後の歴史まで知っている現在から振り返ると、この時期を単純な「東方Projectの衰退」として片づけるのは少し違います。

むしろ興味深いのは、ここからです。

新しい人気コンテンツが現れたからといって、ZUN氏は流行へ対抗するために東方Projectそのものを大きく作り変えませんでした。

基本無料のゲームが人気だから同じ形式へ移行する、流行しているキャラクター設計を取り入れる、広告を大量に打って話題を奪い返す。そういった競争へ向かうのではなく、自分が面白いと思うゲームを作るという姿勢を変えず、東方Projectを作り続けていきます。

結果として、この判断がシリーズの寿命を伸ばすことにつながりました。

流行に合わせて姿を変え続けるコンテンツは、その時代に大きな爆発力を持つ一方、流行そのものが変われば古く見えてしまう可能性もあります。対して東方Projectは、ブームの中心から外れても「東方Projectであること」を失わなかったため、昔からのファンが数年離れた後に戻ってきても、再び触れやすい場所として残り続けました。

一方で、何も変えなかったわけでもありません。

ここが東方Projectの長い歴史を考えるうえで重要なところです。

作品そのものを流行へ合わせるのではなく、東方Projectへ触れるための「入口」は時代に合わせて少しずつ広げていきました。

その象徴となったのが、2014年に発表された「ZUN×PlayStation プロジェクト」、後の「Play,Doujin!」です。

ただし、ZUN氏自身が家庭用ゲーム機向けの東方原作を作り始めたわけではありません。原作の世界を使った二次創作ゲームを制作していたサークルが中心となり、それまで主にPCで展開されていた東方のゲームを家庭用ゲーム機へ届ける仕組みが作られました。

これは東方Projectらしい広がり方でもあります。

原作者がすべてを商業展開するのではなく、東方を好きになった別のクリエイターが作品を作り、その作品から新しいファンが入ってくる。ニコニコ動画や同人イベントで起きていた循環が、今度は家庭用ゲーム機にも持ち込まれたわけです。

PCで同人ゲームを買うことに馴染みがなかった人でも、普段使っているゲーム機なら触れやすくなります。そこで東方Projectを知った若い世代が原作や楽曲へ興味を持てば、さらに次のファンへつながっていく。この新しい入口は、シリーズを次の世代へ渡していくうえでも大きな意味を持ちました。

さらに2017年、原作側にも長い歴史の中で大きな転換点が訪れます。

第16弾『東方天空璋 ~ Hidden Star in Four Seasons.』がSteamで配信され、東方Projectの原作が本格的にデジタル販売へ踏み出したのです。

ZUN氏はそれまでダウンロード販売に積極的ではなかったものの、CDドライブを搭載しないPCが珍しくなくなり、海外からも正規の方法で遊びたいという声が高まっていました。作品そのものを変えなくても、届け方まで昔のままでは新しいプレイヤーが入れなくなる。そこで時代の変化を受け入れ、Steamという新しい流通へ踏み出した形です。

その影響は国内だけに留まりませんでした。

Steamで入手できるようになったことで、日本の同人ショップへ行けない海外のプレイヤーにも正規の入口が生まれます。配信開始後にはTwitchやYouTubeでも海外から東方Projectを扱う動きが広がり、日本の同人文化から生まれたシリーズが国境を越えて共有される土台も整っていきました。

つまり、2010年代の東方Projectに起きていたのは、単純な衰退ではありません。

ニコニコ動画で誰もが東方を目にした時代が終わり、コミケで圧倒的な勢力を誇った頃と比べれば、数字の上では落ち着いていく。それでも原作は作られ続け、二次創作も消えず、家庭用ゲーム機やSteamという新しい入口まで生まれていました。

ブームの頂点から降りたことで終わるのではなく、巨大な流行から長く続く文化へ変わっていった。東方Projectにとって2010年代は、そんな転換期だったと考えると、その後もシリーズが生き続けた理由が見えてきます。

そして2020年代に入ると、その「簡単には消えない」という東方Projectの強さを象徴する出来事が起こります。

一度サービス終了が決まったゲームを、ファンの力で再び蘇らせるという異例の展開です。

ファンの力でゲームが復活!『東方ダンマクカグラ』が証明した異常なほどの熱量

家庭用ゲーム機やSteamへと入口を広げながら、2010年代を乗り越えた東方Project。その次に訪れたのが、ゲーム市場そのものがスマートフォン中心へ移っていく時代でした。

東方Projectも、この流れから無縁ではありません。

2020年にはRPG『東方LostWord』、翌2021年にはリズムゲーム『東方ダンマクカグラ』が登場します。どちらも東方Projectの公認二次創作ゲームですが、同じスマートフォン向けタイトルでありながら、その方向性はかなり異なっていました。

『東方LostWord』はキャラクターを集めながら育成していく、いわゆるスマートフォンRPGとしての仕組みを採用しています。一方の『東方ダンマクカグラ』が前面に押し出したのは、東方Projectが長い年月をかけて育ててきた「音楽」でした。

原曲から派生して無数のアレンジ楽曲が生まれ、それを聴いた人が東方を知る。ニコニコ動画の時代から続いてきた東方アレンジの文化を、スマートフォンのリズムゲームという形へ落とし込んだ作品だったのです。

ところが、この『東方ダンマクカグラ』は思いがけない運命をたどります。

2021年8月にサービスを開始したものの、翌2022年10月28日にはサービス終了。わずか1年あまりで遊べなくなることが決まりました。

しかも、単純にゲームとして支持されなかったという話でもありません。

楽曲を中心としたリズムゲームとして楽しめる一方で、無課金でも十分遊べるという声があり、継続的に運営するための収益を確保する難しさを抱えていたとされています。ゲームとして楽しんでもらうことと、サービスを維持できるだけの収益を得ること。その両立の難しさが表面化した形でした。

どれだけ愛されているIPでも、運営型ゲームである以上、採算という現実から逃れることはできません。

普通なら、サービス終了が決まった時点で作品の歴史にも区切りがつきます。サーバーが閉じれば遊べなくなり、何年か経てば「あの頃こんなゲームがあった」と振り返られる存在になっていく。スマートフォンゲームでは決して珍しくない光景です。

ところが、『東方ダンマクカグラ』はそこで終わりませんでした。

開発側が選んだのは、スマートフォン向けの運営型ゲームとして存続させるのではなく、PCや家庭用ゲーム機で遊べる買い切り型タイトルとして作り直すという道です。

そのための資金を集めるべく、2022年末にクラウドファンディングが始まりました。

設定された目標金額は1,500万円。

これだけでも決して小さな金額ではありませんが、最終的に集まった支援額は、その数字をはるかに上回ります。

1億9,334万円。

当初の目標金額に対して、実に12倍を超える支援が集まりました。

一度サービス終了を迎えたゲームをもう一度遊びたい。そのためなら、自分たちも作品を残す側に回る。そんなファンの熱量が、金額という非常に分かりやすい形で表れた出来事でした。

そして2024年2月8日、『東方ダンマクカグラ ファンタジア・ロスト』として実際に復活を果たします。

ここまでの東方Projectの歴史を振り返ると、この出来事がシリーズらしく感じられるのも面白いところです。

1996年にZUN氏が一人で始めたゲームを、ファンが音楽や漫画、イラストへ広げていく。ニコニコ動画ではアレンジ楽曲や動画が大量に作られ、そこから東方を知らなかった人まで巻き込んでいきました。

そして時代がスマートフォンへ移った後には、今度はファン自身の支援によって、消えかけた一つのゲームが別の形で残されることになります。

企業だけがコンテンツを提供し、ファンはそれを受け取るという関係だけでは説明できません。東方Projectでは昔から、ファン自身も文化を維持する側に立ってきました。

その結束力が別の形で表面化したのが、2022年に起きた「ゆっくり茶番劇」の商標登録を巡る騒動です。

「ゆっくり茶番劇」は、ゆっくりキャラクターを使った動画のジャンル名やタグとして長年使われてきました。ところが2022年、特定の個人によって商標登録されたことが明らかになり、その名称を使用する場合に年間10万円のライセンス料が必要になるとの発表が行われます。

これに対してネット上では大きな反発が起こりました。

問題視されたのは、単純に「お金を払いたくない」という話だけではありません。

ゆっくり文化は、もともと一人の企業やクリエイターだけで作られたものではなく、多くの人が長い年月をかけて形を変えながら育ててきたものです。その文化の中で広く使われてきた名称を、後から一個人が商標として取得することに対して、「共有されてきた文化を誰か一人が独占していいのか」という疑問が一気に噴き出しました。

その後はドワンゴによる対応や無効審判へと発展し、最終的に当該商標の登録を無効とする判断が下されています。

一連の騒動では署名活動をはじめ、さまざまな形で文化を守ろうとする動きも生まれました。

『東方ダンマクカグラ』を復活させるために約1億9,334万円が集まったことも、「ゆっくり」を巡る問題で多くの人が動いたことも、根底にあるものはよく似ています。

東方Projectは、作品を作り続けているZUN氏だけで30年近く続いてきたわけではありません。

原作を遊ぶ人、音楽を作る人、絵を描く人、動画を投稿する人、イベントへ参加する人、そして好きな文化が失われそうになったときに動く人。その積み重ねによって、東方Projectという巨大な文化圏そのものが維持されてきました。

では、なぜこれほどまでにファンが離れず、新しい世代まで入り続けるのか。

30年近い歴史を振り返ったからこそ見えてくる、その答えを最後に整理していきます。

なぜ東方Projectは30年近く愛され続けるのか?一人の創作者とファンが築いた奇跡

1996年に一人の大学生が作った『東方靈異伝』から始まり、Windowsへの移行、ニコニコ動画での爆発的なブーム、ゆっくり文化の誕生、家庭用ゲーム機やSteamへの進出まで、東方Projectは時代が変わるたびに新しい広がり方を見せてきました。

その間には『艦隊これくしょん -艦これ-』をはじめとする新しい人気コンテンツが次々と登場し、コミックマーケットにおける東方関連サークルも全盛期と比べれば減少しています。

それでも、東方Projectそのものが消えることはありませんでした。

2023年には第19弾『東方獣王園 ~ Unfinished Dream of All Living Ghost.』が登場し、2025年にはついに第20弾『東方錦上京 ~ Fossilized Wonders.』が発売されています。

約30年前にPC-98から始まったシリーズが、現在も新作を出し続けているわけです。

しかも『東方錦上京』では、新しい仕組みを取り入れながらも、ゲームそのものはオーソドックスな弾幕シューティングへと立ち返っています。

時代が変わったからといって、東方Projectまで別物になる必要はない。

この一貫した姿勢こそ、長く愛されてきた理由を考えるうえで欠かせない部分です。

ZUN氏はこれまで、流行へ合わせて東方Projectそのものを大きく作り変えるのではなく、自分が面白いと思うゲームを作るという姿勢を守ってきました。

その一方で、作品を届ける方法については決して昔の形だけに固執していません。

PC-98からWindowsへ移り、二次創作ゲームは家庭用ゲーム機へ進出し、原作もSteamで購入できるようになりました。スマートフォンでは公認二次創作ゲームが展開され、海外でも東方Projectから影響を受けたクリエイターが作品を作るようになっています。

つまり、変えなかったものと、変えてきたものがはっきりしているのです。

弾幕シューティングとしての面白さや幻想郷の世界観、音楽を大切にする姿勢は簡単に変えない。しかし、東方Projectへ入ってくるための入口は、その時代に合わせて増やしていく。

このバランスがあったからこそ、昔からのファンを置き去りにせず、新しい世代まで受け入れることができました。

そして、もう一つ忘れてはいけないのが、二次創作を歓迎してきた文化です。

東方Projectには、ゲームを遊ぶだけでは終わらない面白さがあります。

原曲を聴いて「自分ならこんなアレンジにしたい」と思った人が音楽を作り、キャラクターを好きになった人が絵を描く。幻想郷でもっと別の出来事を見たいと思えば漫画や小説が生まれ、ゲームそのものを作りたい人は二次創作ゲームに挑戦する。

受け手だったファンが、いつの間にか作り手になれるわけです。

しかも、そうして作られた作品が次の入口になります。

「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」から東方を知った人もいれば、「ナイト・オブ・ナイツ」から原曲へたどり着いた人もいる。ゆっくり実況を何年も見た後になって、霊夢と魔理沙がもともと東方Projectのキャラクターだと知った人もいるはずです。

原作から二次創作が生まれ、二次創作から原作へ新しい人が入ってくる。

この循環が一度きりではなく、世代を越えて繰り返されてきました。

だからこそ、コミックマーケットにおける東方Projectのサークル数が全盛期から減ったという数字だけでは、このシリーズの現在地を説明しきれません。

2025年夏のコミックマーケットでは、東方カテゴリーのサークル数はおよそ570まで減少しています。しかし、ピークから大きく数字を落としているとはいえ、一つの作品を中心に約600ものサークルが集まっていると考えれば、その規模は依然として小さくありません。

ましてや、シリーズ誕生から約30年が経過しています。

一時的なブームの頂点からは降りても、数十年後まで創作する人が残り続けている。むしろ東方Projectは「その時代で最も流行しているコンテンツ」という立場から、同人文化を構成する大きな一ジャンルへ定着したと見るほうが、その歩みを捉えやすくなります。

そして、この文化は日本だけで完結するものでもなくなりました。

海外のイベントでも東方Project関連の出展が続き、韓国をはじめ海外のサークルが制作した二次創作ゲームがSteamで販売されるなど、かつて東方Projectを遊んで育った世代が、日本の外でも作り手へ回り始めています。

1990年代に日本の大学生が一人で作っていた同人ゲームが、約30年後には国境を越えて別のクリエイターを生み出している。

この歴史を考えると、東方Projectが残したものは「長く続いている人気ゲーム」という言葉だけでは収まりません。

ZUN氏が幻想郷という場所を作り、そこへ霊夢や魔理沙をはじめとするキャラクターと音楽を生み出す。それを受け取ったファンが、自分の好きな形で世界を広げ、そこで生まれた作品を見た別の人が新しく東方Projectへ入ってくる。

誰かが離れても、また別の誰かが入ってくる。その中から新しい作り手も生まれるため、文化そのものが簡単には途切れません。

『東方ダンマクカグラ』の復活に1億円をはるかに超える支援が集まったことも、ゆっくり文化を巡る問題で多くの人が動いたことも、この長い積み重ねがあったからこそ理解できます。

東方Projectは、ZUN氏一人から始まりました。

しかし、30年近く経った現在の東方Projectは、もはや一人だけで説明できるものではありません。

原作を作り続けるZUN氏がいて、その作品を愛する人がいる。さらに、その中から新しい作品を生み出す人が現れ、それをきっかけに次の世代が入ってくる。

この循環が止まらなかったことこそ、東方Projectが30年近く愛され続けてきた最大の理由なのかもしれません。

ゲームから音楽が生まれ、音楽から動画が生まれ、動画から「ゆっくり」というネット文化まで広がっていった。

1996年、大学祭の片隅から始まった小さな同人ゲームは、いつしか日本のインターネット文化そのものに足跡を残す存在になっていました。

そして第20弾まで到達した現在も、幻想郷では新しい物語が作られ続けています。

東方Projectの歴史が本当に凄いのは、30年近く続いたことだけではなく、今もまだ「歴史の途中」にあることなのです。

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