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【マリオ64】わずか8MBってマジ?令和の今だから分かる「30年前の技術力」がヤバすぎる

【マリオ64】わずか8MBってマジ?令和の今だから分かる「30年前の技術力」がヤバすぎる

1996年にNINTENDO64向けタイトルとして発売された『スーパーマリオ64』は、マリオシリーズで初めて本格的な3Dアクションに挑んだ作品です。当時遊んだ人にとっては「マリオが3Dになった」というだけでも相当なインパクトがありましたが、発売から約30年が経った現在の感覚で見直してみると、「これをあの時代に作っていたのか」と驚かされる部分がかなりあります。

しかも、『マリオ64』は昔の名作として思い出の中だけに残っているゲームではありません。現在でも最速クリアを競うRTAが盛んで、発売から長い年月が経過しているにもかかわらず、新しいテクニックや挙動が話題になることもあります。普通ならとっくに遊び尽くされていても不思議ではないほど研究されているのに、それでもプレイヤーが挑み続けている。この息の長さだけを見ても、かなり特殊な作品だと感じます。

そんな『マリオ64』が令和になって改めて注目された理由のひとつが、ゲームそのもののデータ容量です。現代では数十GBクラスのタイトルも珍しくなく、100GBを超える作品まで存在する一方で、『マリオ64』はわずか8MB程度。数字だけを見るとピンと来ないかもしれませんが、今ならスマートフォンで扱うデータと比較しても非常に小さく、「あのゲームが本当に8MBに収まっているのか」と疑いたくなるほどです。

何より凄いのは、8MBという小ささだけではありません。城の中を自由に歩き回り、絵画の中へ飛び込んで複数のステージを探索する。そこで走ったり、跳んだり、泳いだりしながらスターを集めていくという、3D空間そのものを遊び場にしたゲームが成立しています。現在では当たり前に感じられる遊び方でも、3Dアクションゲームの形がまだ固まっていなかった時代に、ここまでまとめ上げていた点が重要です。

もちろん、グラフィックの精細さや音声、ステージの規模といった部分を現代作品とそのまま比較することに意味はありません。注目したいのは、使える容量もハード性能も限られていた環境で、「何を入れれば3Dゲームとして面白くなるのか」を考え抜き、実際に一本のゲームとして成立させていたことです。

むしろ、ゲームの容量が数十GB、100GBという単位まで大きくなった現在だからこそ、8MBという数字の異常さが分かりやすくなったとも言えます。約30年前の作品を現代の基準で見返した結果、古さより先に「よくこの条件で作れたな」という驚きが出てくる。『マリオ64』が令和の今になって再び注目されるのも、単なる懐かしさだけではなく、当時の開発技術や工夫の凄さが時代を経たことで、かえって鮮明に見えるようになったからではないかと思います。

容量わずか8MB!今の感覚では信じられない『マリオ64』のサイズ

では、実際に『スーパーマリオ64』の8MBという容量がどれほど小さかったのか。ここを掘り下げてみると、単に「昔のゲームだから軽かった」という話では済まないことが見えてきます。

そもそも『マリオ64』が発売された1996年は、ゲーム業界が2Dから3Dへ本格的に移り始めた時期でした。キャラクターだけでなくフィールドまで立体的に表現し、その空間をプレイヤーが自由に動き回るとなれば、当然ながら扱うデータも増えていきます。それまでの2Dゲームとは違った技術が必要になる中で、『マリオ64』はシリーズ初の3Dアクションとして登場しました。

それなのに、ゲーム全体の容量はわずか8MB程度です。今では数十GBのゲームも珍しくないため、MBとGBでは単位そのものが違いますし、現代の感覚で数字だけを見ると「何かの間違いではないか」と感じるほど小さい容量になっています。しかも、その8MBの中に入っていたのは、短時間で終わる小規模なゲームではありません。

ピーチ城を拠点として複数のステージを巡り、それぞれ異なる条件でパワースターを集めていく。ステージごとに地形や仕掛けが用意されているだけでなく、マリオ自身にも走る、ジャンプする、泳ぐといった多彩な動きがあり、3D空間を自由に動かすこと自体が遊びとして成立しています。つまり、「8MBしか使えなかったから内容もそれなりだった」というわけではなく、一本の3Dアクションゲームとして十分なボリュームを持たせていた点に驚かされます。

さらに興味深いのが、当時のゲームすべてが同じような容量で作られていたわけではないことです。同時期のPlayStationでは、約700MBを記録できるCD-ROMがゲームメディアとして使われていました。それに対してNINTENDO64はROMカートリッジを採用しており、『マリオ64』は圧倒的に小さなデータ容量の中で3D表現を成立させています。

ここが『マリオ64』の8MBを考えるうえで、かなり重要なところです。使える容量が少なければ、開発側は何でも好きなだけ詰め込むことができません。限られた領域に収める以上、何を残して何を削るのか、同じデータをどう効率よく利用するのかといった工夫が必要になります。

そして、その制約を感じさせるどころか、「3D空間を自由に動き回るマリオ」という当時としては新しかった遊びを成立させてしまった。8MBという数字が今になって話題になるのも、容量そのものが小さいからというより、その小さな容量から想像するゲームと、実際の『マリオ64』の内容がまったく釣り合って見えないからだと思います。

では、さらに時代を遡ったらどうなるのか。実は初代『スーパーマリオブラザーズ』になると、8MBどころではありません。現在ではちょっとしたデータにも満たないほどの容量から、世界的な名作が作られていました。

初代マリオは40KBだった?容量制限の中でゲームを作っていた時代

『マリオ64』の8MBだけでも十分に驚かされますが、さらに時代を遡って1985年の『スーパーマリオブラザーズ』まで行くと、容量の感覚はもう一段変わってきます。そのサイズはわずか40KBほどで、内訳としてはプログラム部分が32KB、キャラクターデータが8KB。それでも8つのワールド、全32ステージからなるゲームを成立させていました。

40KBと言われても、現在ではあまり使わない単位なので凄さが伝わりにくいかもしれません。ただ、『マリオ64』の8MBと比べてもさらに桁違いに小さく、その限られた領域の中へステージやキャラクター、ゲームを動かすためのプログラムなどを収める必要がありました。当然、「容量が足りなくなったら増やせばいい」という作り方はできません。

そこで重要になったのが、すでに用意したデータを可能な限り無駄なく使うという発想です。たとえば、空に浮かんでいる雲と地上にある草むらには同じグラフィックデータを利用するなど、見せ方を変えることでひとつの素材に複数の役割を持たせていました。背景データの圧縮やマップデータの持たせ方にも工夫が施され、限られた容量を徹底して使い切ることがゲーム開発そのものに組み込まれていたわけです。

こうして見ると、昔のゲームにおける「容量が少ない」という事実は、単純に技術が未熟だったことを意味していたわけではありません。むしろ、使える容量が最初から厳しく決められている以上、その範囲でどうすればプレイヤーに広い世界だと感じてもらえるのか、同じ素材を使いながらどう違った場面に見せるのかといった工夫が必要になります。

そして面白いのは、そうした制約がゲームの内容を単純に小さくしたのではなく、開発者に「限られたものをどう使うか」を考えさせる条件にもなっていたことです。容量を増やせないならデータを使い回す、それでも単調に見えるなら見せ方を変える。何かを追加する前に、すでにあるものから別の遊びや表現を作れないか考える必要があったとも言えます。

『スーパーマリオブラザーズ』の40KBから、『マリオ64』では8MBへ。扱えるデータ量は大きく増えましたが、それでも現在と比較すれば非常に小さな世界です。ところが、その限られた容量から2Dアクションの代表作が生まれ、さらに時代が進むと3D空間を自由に動き回る『マリオ64』まで登場した。この流れを見ると、ゲームの進化は単純に「使えるデータが増えたから豪華になった」という話だけでは捉えきれません。

では、容量の制約がほとんどなくなり、数十GBから100GBを超えるゲームまで作れるようになった現在はどうなのか。何でも入れられるようになったことで、ゲームは昔より確実に面白くなったのか――ここには少し考えてみたい部分があります。

「何でも入れられる」は本当にゲームを面白くしたのか

40KBの『スーパーマリオブラザーズ』から8MBの『マリオ64』へ。そして現在では、数十GBはもちろん、100GBを超える大作ゲームも登場するようになりました。ここまで数字が変わると、もはや同じ「ゲーム容量」という言葉で比べていいのかと思うほどですが、それだけ開発側が使えるデータ量は大きく変化したことになります。

もちろん、これはゲームにとって大きな進歩です。高精細なグラフィックを使い、広大なフィールドを用意し、キャラクターのセリフを音声で収録する。さらに大量の楽曲や効果音、ムービーなども収録できるようになり、かつて容量の問題で諦めざるを得なかった表現まで実現できるようになりました。昔のゲームでは想像するしかなかった世界を、実際の映像や音としてプレイヤーに見せられるようになったわけです。

ただ、ここで少し気になるのが、「入れられるものが増えること」と「ゲームが面白くなること」は、本当に同じなのかという点です。

昔のゲームには、そもそも何でも入れるという選択肢がありませんでした。容量に収まらなければ削るしかなく、限られた素材を別の場所でも使い、少ないデータからできるだけ多くの遊びを生み出す必要があります。そう考えると、先ほど触れた初代『スーパーマリオブラザーズ』の工夫も、単なる容量節約のテクニックではなく、「この条件でどうゲームを成立させるか」という試行錯誤の結果だったと見ることができます。

一方、現在は技術の進歩によって、その制約がかなり緩くなりました。だからこそ、以前なら不可能だった表現に挑戦できるようになった反面、「何を入れるか」だけではなく「何を入れないか」を判断することも、以前とは違った意味で重要になっているように感じます。

要素を増やせば、それだけ遊びが豊かになるとは限りません。マップを広くしても移動する時間ばかり増えてしまえば退屈に感じることがありますし、できることを大量に用意しても、それぞれの遊びが薄ければプレイヤーには作業として受け取られてしまいます。豪華な映像や大量のコンテンツを用意できることと、触っていて面白いことの間には、やはり別の問題があるはずです。

だからといって、「昔のゲームは良かった、今のゲームは駄目だった」と単純に結論づける話でもありません。現代には現代だからこそ実現できるゲームがありますし、技術や容量の進歩そのものを否定してしまえば、ゲーム表現が広がってきた意味まで失われてしまいます。

それでも『マリオ64』の8MBという数字を知ったあとでは、ゲームの面白さを決めているものがデータ量だけではないことは強く意識させられます。容量が限られているなら、その中で何を優先するのかを考えなければならない。その制約の中で試行錯誤した結果、思い切ったアイデアや遊び方が生まれることもあった、という見方には納得できる部分があります。

30年前は「入れたくても入れられない」時代でした。それに対して、現在は「入れようと思えば入れられる」時代になっています。だからこそ今度は、何でも詰め込むのではなく、そのゲームに本当に必要なものを選び取ることが、別の難しさとして求められているのかもしれません。

それでも『マリオ64』が今なお遊ばれ続けている理由

ここまで容量や開発環境の違いを見てきましたが、『マリオ64』の凄さを8MBという数字だけで語ってしまうと、この作品の本質を少し見落としてしまいます。なぜなら、本当に驚くべきなのは「8MBで作られたゲームが存在すること」ではなく、そのゲームが発売から長い年月を経た現在まで遊ばれ続けていることだからです。

実際、『マリオ64』では現在も最速クリアを競うRTAが盛んに行われています。発売直後ならともかく、これだけ長期間にわたってプレイヤーが研究を続け、それでも新しいテクニックや挙動が話題になる。普通にクリアして終わるだけなら数十時間もあれば十分なゲームが、何十年という単位で研究対象になっているわけです。

なぜ、そこまで長く遊べるのか。その理由のひとつとして考えられるのが、マリオを動かすこと自体に遊びが詰まっている点です。目的地まで移動するだけでも、走ってジャンプするのか、勢いをつけて飛び込むのか、それとも別の動きを組み合わせるのか。プレイヤーの操作次第で動き方が変わるため、決められたルートをなぞるだけでは終わりません。

これは、RTAとの相性を考えても大きなポイントです。クリアまでの時間を縮めようとすれば、「もっと速く移動できないか」「この地形を別の方法で突破できないか」と、プレイヤー自身がゲームの仕組みを掘り下げることになります。遊び方を突き詰めるほど新しい可能性を探せる余地が残されているからこそ、長期間にわたって研究する人が現れるのも納得できます。

そして、ここまで振り返ると、先ほど触れた「何でも入れられることが面白さにつながるのか」という話ともつながってきます。『マリオ64』には現代の大作ゲームのような膨大なムービーもなければ、広大なオープンワールドや大量のサブクエストが用意されているわけでもありません。それでも、3D空間を自由に動き回るという中心部分には、何度も触りたくなるだけの奥行きがあります。

つまり、コンテンツの「量」を増やすこととは別に、ひとつの遊びをどこまで深く作り込めるかという考え方があるわけです。遊べる場所を100個用意する方法もあれば、ひとつの場所で100通りの遊び方を見つけてもらう方法もある。『マリオ64』は後者の面白さを非常に分かりやすく感じられる作品なのだと思います。

もちろん、発売当時から現在のRTA文化まで計算して作られていたという話ではありません。ただ、長年遊び込まれた結果として、それだけ研究できる余地がゲームの中に残っていたことは確かです。発売から何十年も経過してなお、新しい発見を求めてプレイヤーがゲームを起動する。その事実そのものが、『マリオ64』という作品の作り込みを物語っています。

8MBという数字は、確かに強烈です。ただ、その小さな容量に収められたゲームが30年近く経っても遊び尽くされていないと考えると、さらに印象が変わってきます。『マリオ64』が令和の今になって再評価されているのは、昔としては凄かったからではなく、現在のゲームと並べて見ても「ゲームの面白さは何で決まるのか」を考えさせる作品だからこそなのだと思います。

8MBの『マリオ64』から見えてくる、ゲームの面白さに本当に必要なもの

こうして振り返ってみると、『マリオ64』の8MBという容量は、単なる「昔のゲームはデータが小さかった」という豆知識だけでは終わらない話だと思います。むしろ興味深いのは、使える容量もハード性能も現在とは比較にならないほど限られていた時代に、なぜこれほど長く遊ばれるゲームを作れたのかという部分です。

初代『スーパーマリオブラザーズ』は約40KB、そこから時代が進んだ『マリオ64』でも約8MB。それに対して現代では100GBを超えるゲームまで登場しており、ゲームに使えるデータ量は文字どおり桁違いに増えました。技術の進歩によって表現できるものが増えたことは間違いありませんが、それだけで昔より面白いゲームを作れるようになったかと聞かれると、話はそこまで単純ではありません。

容量が限られていた時代には、何かを追加するために別の何かを削ったり、ひとつのデータを工夫して使い回したりと、常に取捨選択が求められていました。やりたいことをすべて詰め込めない以上、「このゲームで一番面白い部分は何なのか」を考え、そこへ限られたリソースを集中させる必要があったとも考えられます。

もちろん、制約さえあれば名作が生まれるわけではありません。容量が小さいこと自体に価値があるわけでもなく、現代の大容量ゲームだから面白くないという話でもないはずです。ただ、自由に使えるものが少ないからこそ工夫が生まれ、その工夫が結果としてゲーム独自の面白さにつながることがあった、という側面は無視できません。

『マリオ64』の場合、その限られた環境の中で選ばれた大きな柱が「3D空間でマリオを自由に動かす」という遊びでした。そこに複雑な要素を際限なく足していくのではなく、走る、跳ぶ、泳ぐ、探索するといった基本的なアクションを組み合わせることで、プレイヤー自身が動かして面白いゲームに仕上げています。

だからこそ、発売から長い年月が経ってグラフィックが古くなっても、その中心にある遊びまで消えることはありません。現在もRTAが続き、新しいテクニックや挙動が研究されていることを考えると、ゲームを長く遊ばせるものは収録されたデータの量ではなく、プレイヤーがその仕組みにどこまで入り込めるかという「遊びの深さ」なのかもしれません。

そして、100GBを超えるゲームさえ珍しくなくなった現在だからこそ、約8MBで作られた『マリオ64』の存在が余計に際立ちます。当時としては最先端だった作品を約30年後の基準から見返してみたら、古さを感じるどころか、限られた条件から最大限の面白さを引き出そうとした作り込みの凄さが見えてきた。

「8MBしかない」のではなく、「8MBでここまで作った」。

『マリオ64』の容量が令和の今になって話題になる理由を突き詰めていくと、最後に残るのはこの驚きなのだと思います。

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