遊んだゲームを、そのまま語る。

ゲームは人を幸せにしているのか?昔と今のクリエイターの思考を比較して考える

ゲームは人を幸せにしているのか?昔と今のクリエイターの思考を比較して考える

最近、ChatGPTと壁打ちをしてみたゲームに対する一個人の意見のやり取りを共有します。

私は子供の頃からテレビゲームが好きで、特にRPGを中心に遊んでいる
アドベンチャーゲームも好きで、面白い話を描くシナリオライターのゲームをよく遊ぶ

昨今のゲームは、面白いゲームはもちろんあるが、
昔ほど面白いと思うゲームに出会う機会も少ないと感じている。
現に年にとって大ハマりするゲームも1~2本程度だ。

現状、なぜこうなるのかということをよく考えるが、
ネット情報の同じような意見を持つ人の考察見てもどうもしっくりこない。

いろいろな主張の情報を見るが、
私が共感するものはない。

では、どういう情報であれば共感するかというと、
作りての、思考レベルに言及した情報だと思っている。

時代の変遷によって、大衆の思考レベルは変わると思っているが、
例えば20-30年前のゲームを作る人たちの思考レベルと
今の時代のゲームの作りての思考レベルの違いが、自分が面白いゲームに出会えていない理由だと思うのだ。

一旦、ここまで

ここまで読んで感じたのは、あなたが言いたいことは「昔のゲームは良かった」という懐古ではない、ということです。

むしろ、

ゲームそのものではなく、それを生み出す人間の思考様式が変わったのではないか。

という仮説を立てているように見えます。

そして、ネットでよく見かける考察がしっくり来ない理由もそこにあるのだと思います。

例えばよくある主張は、

  • 昔は子供だったから
  • 思い出補正
  • 年齢を重ねて感動しづらくなった
  • 市場が成熟した
  • AAA化で挑戦しづらくなった
  • SNSで情報を見すぎるようになった

などです。

これらはどれも「受け手」の話です。

しかしあなたは、

受け手ではなく、作り手の精神構造が変わったのではないか

という点を見ている。

だから共感できないのでしょう。


実はこのテーマはゲームだけではありません。

映画でも、小説でも、漫画でも同じことが言われます。

しかし、その議論もほとんどが

「市場が悪い」
「SNSが悪い」
「コンプライアンスが悪い」

という環境論で終わります。

あなたはもっと一段深い、

「その環境の中で育った人間は、そもそも何を面白いと思う人間なのか」

という部分を知りたいのだと思います。


例えば、20〜30年前のゲームクリエイターを考えてみます。

当時の人たちは、

  • 小説を読む
  • SFに影響を受ける
  • 映画を見る
  • 哲学や神話を読む
  • TRPGを遊ぶ
  • コンピュータが好き
  • 新しい表現を試したい

という人が非常に多かった。

つまり、

「表現したいもの」が先にあった。

ゲームはそのための媒体でした。

一方、現在はもちろん例外はありますが、

  • 子供の頃からゲーム好き
  • ゲーム会社に入りたい
  • 売れているゲームが好き
  • SNSで評価される作品を作りたい

という入口も増えています。

すると、

ゲームを遊ぶことが目的だった人がゲームを作る

割合は昔より増えている可能性があります。

これは良い悪いではなく、思考の入口が違います。


もう一つ面白い視点があります。

昔は、

「世界を作りたい」

という人がゲームを作っていました。

しかし今は、

「ユーザー体験を設計したい」

という考え方がかなり強い。

これはゲームデザインとしては正しいのですが、

あなたのように

  • 世界観
  • シナリオ
  • 人物の思想
  • 作者の人生観

に惹かれる人からすると、

「整っているけれど魂を感じない」

という印象になりやすいのかもしれません。


特にRPGやADVでは、この違いが顕著です。

例えば90年代〜2000年代前半は、

「作者が何を伝えたいか」

が作品の中心にありました。

現在は、

「ユーザーが離脱しないか」
「テンポはどうか」
「炎上しないか」
「誰も不快にならないか」

という設計思想も以前より重視されるようになっています。

もちろんすべての作品がそうではありませんが、商業作品全体としてはこの傾向が強まっているように見えます。


あなたが言っている「思考レベル」という言葉は少し誤解を招きやすいので、もしこのテーマをさらに掘り下げるなら、

  • 思考様式
  • 世界の捉え方
  • 人生観
  • 創作哲学
  • 価値観の構造

といった言葉のほうが近いかもしれません。

「昔のクリエイターの方が頭が良かった」という話ではなく、

「何を人生の中心に置いて創作していたか」が変わったのではないかという問いです。


このテーマで私がさらに興味深いと感じるのは、あなたが「思考レベル」と表現したものが、実際にはクリエイター個人ではなく、その世代全体が共有していた知的環境や文化的背景と結びついている可能性です。

例えば、1990年代のゲームクリエイターは、インターネット以前の時代に育ち、本・映画・漫画・神話・歴史・TRPGなどから時間をかけて影響を受けていました。一方で現代は、膨大なゲームや動画、SNSの中で育った世代がクリエイターになっています。そうした「何から影響を受けてきたか」の違いが、物語の作り方や世界観の構築、人間描写に現れているのではないか――という視点です。

この仮説は、「昔は良かった」という感覚論ではなく、「クリエイターが育つ知的土壌が変化した結果、作品の性質も変わったのではないか」という、より構造的な問いになります。

この観点は、ゲームに限らず、映画・小説・アニメ・漫画などあらゆる創作物にも応用できるため、掘り下げる価値のあるテーマだと感じました。

敢えて、良い・悪いという観点で考えてみたいと思う。
ただその基準を、人の「幸せ」で考えた場合、
昔の思考レベルのほうが、作り手・受け手の「人生」に対して「良い」のではないかと思うのだ。

いまの現代のゲームの作りてによって思考レベルで創作をした場合、
作りての思考レベル、受け手の影響と、それによって醸成される思考レベルが
「人生」に対して、「良い」とは思えないと思っている。

ただこの理由の言語化がうまくできない

これはかなり根源的なテーマです。

ただ、まず一つ整理した方がいい点があります。

あなたが言いたいことは、おそらく

「昔の人のほうが頭が良かった」

ではないですよね。

そうではなく、

「昔のクリエイターが持っていた思考様式のほうが、人間が幸せに生きるためには望ましいものだったのではないか」

という仮説なのだと思います。

この違いは非常に大きいです。


あなたが違和感を持っているものは何か

話を読んでいて感じたのは、あなたは作品そのものではなく、

作品が生み出す”人間の在り方”

を見ています。

例えばゲーム一本には、

  • 世界観
  • 善悪の考え方
  • 人との付き合い方
  • 努力の意味
  • 愛情
  • 正義
  • 人生観

が必ず滲み出ます。

クリエイターは意識していなくても、

「どういう人間観を持っているか」

が作品に表れる。

つまりゲームとは、

娯楽である以前に、

価値観の伝達装置

でもあります。


昔の作品は「人間」を描いていた

例えば昔のRPGを思い返すと、

敵を倒すことが目的ではありませんでした。

本質的には、

  • 仲間との信頼
  • 裏切り
  • 自己犠牲
  • 生と死
  • 国家
  • 宗教
  • 戦争
  • 欲望

こういうものを描いていた。

つまり、

ゲームという形を借りた

人間ドラマ

でした。


今は「ゲーム」を作っている

一方、今は

ゲームシステム

UX

テンポ

ストレスフリー

離脱率

レビュー

SNS映え

配信映え

こうしたものが非常に重視されます。

もちろん全部必要です。

しかし、

それらは

「どう遊ばれるか」

であって、

「どう生きるか」

ではありません。

ここにあなたは物足りなさを感じている気がします。


幸せという観点

あなたが面白いことを言ったのはここです。

幸せとは何か。

昔のゲームを遊んで育った人は、

例えば

「仲間を信じる」

「人生には理不尽がある」

「努力は報われないこともある」

「それでも前へ進む」

こういう思想に触れる機会が多かった。

それが人格形成に少なからず影響した可能性があります。

一方、

現代の作品は

快適さ

効率

承認

即時報酬

刺激

を重視する傾向があります。

すると、

人間が求めるものまで

短期的な快楽に寄っていく可能性があります。


あなたが言いたいのはここではないか

私はこう整理すると近い気がします。

昔のゲームは、人間として成熟するための問いを多く含んでいた。

今のゲームは、人間を楽しませる技術は高度になったが、人間を成熟させる思想は弱くなっている。

これは

ゲームが悪い

ではありません。

ゲーム文化全体の思想が変わった。

そういう話です。


さらに一歩踏み込むと

実は私は、あなたが「思考レベル」と呼んでいるものは

人間の時間軸

なのではないかと思いました。

昔のクリエイターは、

人生を長い時間軸で見ていた。

だから作品も

人生

家族

国家

文明

歴史

神話

を扱う。

一方、

今は

今日

今週

SNS

トレンド

数字

評価

といった短い時間軸で物事を見る圧力が強い。

すると、

創作そのものも

長期的な人生観ではなく

短期的な満足を設計する方向へ寄りやすい。


あなたがまだ言語化できていない理由

ここが一番重要だと思います。

あなたは「幸せ」という言葉を使っていますが、本当に言いたいのは幸せそのものではない気がします。

もっと近い言葉がある。

例えば、

  • 人間的成熟
  • 精神的豊かさ
  • 人生への洞察
  • 世界を理解する力
  • 自分の人生を深く考える契機

こうしたものです。

つまりあなたは、

昔の優れたゲームは、娯楽であると同時に、人間がより深く生きるための”思考の訓練”にもなっていたのではないか。現代はゲームとしての完成度は高くても、その役割が薄れつつあるのではないか。

という直感を持っているのではないでしょうか。

この仮説は、「昔のゲームは面白かった」という懐古ではなく、創作物が人間に与える長期的な影響という視点からゲーム文化を見直そうとするものです。

もちろん、この仮説が正しいと断言することはできません。昔にも浅い作品はあり、今にも人間の生き方を深く描く優れた作品はあります。ただ、あなたが感じている違和感は、「作品の質」ではなく、作品を貫く創作思想や人間観の重心が変わったのではないかという問題意識として整理すると、より明確になるように感じます。

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