いまでは「スクウェア・エニックス」という一つの名前で認識されていますが、その原点をたどってみると、スクウェアとエニックスはかなり性格の違うゲーム会社でした。
特に大きかったのが、ゲームを作るための人材をどう集め、どのような体制で作品を世に送り出すのかという部分です。この違いを知っておくと、なぜ『ドラゴンクエスト』と『ファイナルファンタジー』という二大RPGが異なる個性を持って生まれたのか、その背景も見えてきます。
先に設立されたエニックスは、自社だけですべてを作るというより、外部から才能を見つけ出して作品へ結びつけることを得意としていました。
象徴的なのが、ゲーム業界へ参入した初期に開催したゲーム・ホビープログラムコンテストです。当時のエニックスにはゲームを開発できる人材がほとんどいなかったため、それなら外から優秀な開発者を見つければいいと考えました。
結果として、このコンテストから後のゲーム業界に大きな影響を与える才能が現れます。その中にいたのが、堀井雄二氏と中村光一氏でした。堀井氏はゲームデザインやシナリオ、中村氏はプログラミングという異なる強みを持っており、この出会いが後の『ドラゴンクエスト』へとつながっていきます。
さらに、キャラクターデザインには鳥山明氏、音楽にはすぎやまこういち氏が加わりました。優れた才能を一つの作品へ集め、それぞれの能力を組み合わせていく。1986年に誕生した初代『ドラゴンクエスト』には、そんなエニックスらしい強みが色濃く表れています。
一方のスクウェアは、少し違う道を歩んでいました。
1983年にゲーム制作へ乗り出したスクウェアも、最初から大勢のプロを抱えていたわけではありません。大学生を中心に若い人材を集め、自分たちの組織の中でゲームを作る開発集団を形成していきました。エニックスが外部の才能を結びつけることに強かったとすれば、スクウェアは自分たちで開発する力そのものを会社の武器にしていったと捉えると、その違いが分かりやすくなります。
とはいえ、スクウェアが最初から順調だったわけではありません。
ファミコン市場へ参入してからも思うような結果を残せず、会社として厳しい時期が続いていました。そんな状況で1986年に登場したのが、ライバルとなるエニックスの『ドラゴンクエスト』です。
RPGは家庭用ゲーム機では売りにくい。子どもが中心のファミコン市場では、もっと単純なゲームのほうが受け入れられる。当時はそんな見方も強かったものの、『ドラゴンクエスト』の成功によって、その前提が大きく揺らぎます。
その成功を目の当たりにした坂口博信氏がRPG企画を提出し、1987年に発売されたのが初代『ファイナルファンタジー』でした。
面白いのは、成功した『ドラゴンクエスト』と同じものを作ろうとはしなかった点です。
『ファイナルファンタジー』では4人のパーティー編成やクラス選択を取り入れ、ビジュアルでも天野喜孝氏による幻想的な世界を打ち出しました。さらに、2000年という時間をまたぐ壮大な設定を盛り込み、同じRPGでありながら『ドラゴンクエスト』とは違う方向へ進もうとしています。
そして、ここに後のスクウェア・エニックスへつながる面白さがあります。
エニックスは、人を見つけ、人と人を結びつけることで『ドラゴンクエスト』を生み出した。スクウェアは、自分たちの開発力と表現へのこだわりを磨きながら『ファイナルファンタジー』を生み出した。
どちらも日本を代表するRPGへ成長しましたが、その出発点にあった考え方は同じではありませんでした。
むしろ異なる方法で成功した2社だったからこそ、長い間ライバルとして並び立つことができたとも考えられます。そして、この二つの異なる企業文化が2003年に一つになることが、後のスクウェア・エニックスを考えるうえで非常に重要になってきます。
ドラクエとFFが築いた黄金時代!日本のRPGが世界を変えた理由
『ドラゴンクエスト』と『ファイナルファンタジー』は、それぞれ異なる考え方から生まれたRPGでした。それでも両シリーズには一つ、大きな共通点があります。
それまで一部のゲームファンが楽しむジャンルだったRPGを、誰もが知る存在へと押し上げていったことです。
まず、『ドラゴンクエスト』が残した影響は、単純な販売本数だけでは語り切れません。
初代が発売された1986年当時、日本ではRPGそのものが現在ほど一般的なジャンルではなく、ファミコンで遊ぶには難しいのではないかという見方もありました。そこで『ドラゴンクエスト』は、いきなり複雑な仕組みをプレイヤーへ突きつけるのではなく、遊びながら少しずつRPGの基本を理解できる作りを採用します。
その結果、初代は累計150万本、翌1987年の『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』は240万本を記録。そして1988年に発売された『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』によって、その人気はゲームという枠を越えるほど大きなものになりました。
特にドラクエIII発売時の熱狂は、現在から振り返っても異様なほどです。
発売日に全国各地で長い行列ができ、購入したソフトを狙ったトラブルまで発生するなど、一つのゲームの発売が社会的な話題になるほどの現象へ発展しました。ゲームを遊ぶ人だけが知っている人気作品ではなく、ゲームをしない人まで「ドラクエ」という名前を知っている。そんな領域までシリーズが到達した時期でもあります。
ただ、この頃に勢いを増していたのはエニックスだけではありません。
スクウェアでは1987年の初代『ファイナルファンタジー』がヒットしたことで、それまでの苦しい状況が一変します。その後は『FFII』『FFIII』とシリーズを育てながら、ゲームボーイでは『サガ』、さらに『聖剣伝説』など別のシリーズも展開し、RPGを中心として次々に新しい作品を生み出す会社へ変わっていきました。
そして、スーパーファミコン時代に入るとスクウェアの存在感はさらに大きくなります。
『FFIV』『FFV』『FFVI』が短い間隔で発売され、それぞれの作品でシステムや物語、演出を変えながらシリーズそのものを進化させていきました。同じFFという名前でありながら、前作の成功をそのまま繰り返すのではなく、新しい遊びや表現を盛り込んでいく。その積み重ねによって、「次のFFでは何を見せてくれるのか」という期待そのものがブランドの価値になっていったとも考えられます。
そんな両社の勢いを象徴する作品の一つが、1995年の『クロノ・トリガー』でした。
『ファイナルファンタジー』を生み出した坂口博信氏、『ドラゴンクエスト』の堀井雄二氏、そして鳥山明氏が同じ作品に関わるという、当時としては驚くようなプロジェクトです。スクウェアとエニックスはまだ別会社であり、ドラクエとFFも市場を代表するライバルでした。その両シリーズを支えた人物たちが一つの作品へ集まるのですから、発売前から大きな注目を集めたのも不思議ではありません。
重要なのは、この時代のスクウェアとエニックスが同じRPG市場で成功しながら、互いを完全に真似していたわけではないことです。
ドラクエにはドラクエの遊びやすさがあり、FFにはFFならではの映像表現やシステムがあります。さらにスクウェアからは『サガ』『聖剣伝説』といった別のRPGも生まれ、それぞれ違った遊びを提示していました。
つまり、一つの成功パターンに作品を寄せていくのではなく、同じRPGという枠の中から何通りもの面白さを作り出していたわけです。
そして、この競争は1990年代後半になると、さらに大きな転換点を迎えます。
ゲーム機の性能が上がり、作品に求められる映像や演出の規模も急速に拡大していく中で、スクウェアは新しい技術へ積極的に踏み込んでいきます。その挑戦によって世界へ大きく飛躍する一方、やがて会社そのものを揺るがすほどのリスクも背負うことになりました。
かつて別々の道を歩み、ライバルとして日本のRPG市場を牽引してきたスクウェアとエニックス。その2社が2003年に一つになるまでには、黄金時代の勢いだけでは説明できない事情が積み重なっていたのです。
2003年の合併は正解だったのか?スクウェアとエニックスが一つになった背景
1990年代に黄金期を迎えたスクウェアとエニックスですが、その勢いが永遠に続いたわけではありません。
むしろ2000年代へ入る直前から、ゲーム業界そのものが大きく変わり始めます。ゲーム機の性能が上がれば、それを生かすために必要な開発費も増えていく。一本の大作を完成させるまでの期間も長くなり、かつてのようにヒット作を次々と投入することが難しくなっていました。
そんな変化の中で、スクウェアとエニックスはそれぞれ別の問題を抱えることになります。
スクウェアにとって大きな転機となったのが、2001年に公開された映画『ファイナルファンタジー』でした。
『FFVII』の成功によって、スクウェアはゲームの映像表現を一気に新しい段階へ押し上げています。そこで培ったCG技術をゲームの外へ広げようとしたこと自体は、それまでのスクウェアらしい挑戦だったとも受け取れます。
ところが、映画は会社へ非常に大きな負担を残しました。
ハワイに専用スタジオを設立し、総額約1億3700万ドルもの制作費を投じた一大プロジェクトでしたが、世界興行収入は約8500万ドルにとどまり、スクウェアは139億円の特別損失を計上。創業以来初となる通期赤字へ転落し、当時の鈴木尚社長が辞任する事態にまで発展しています。
ここで興味深いのは、スクウェアを大きくした「新しい表現へ挑戦する姿勢」が、同時に会社を苦しめる要因にもなったことです。
『ファイナルファンタジー』は、新しいハードが登場するたびに映像や演出の限界へ挑み、それによって存在感を高めてきました。ただ、作品の規模が大きくなれば、当然ながら失敗した際の損失も大きくなります。
成功すれば業界を変えるほどの作品になる一方、一度判断を誤れば会社そのものが揺らぐ。スクウェアが得意としてきた大型開発には、そんな危うさも含まれるようになっていたわけです。
では、もう一方のエニックスは安泰だったのかというと、こちらも事情は違いました。
エニックスではゲームだけでなく、出版事業が会社を支える重要な柱へ成長していました。1991年に創刊した『月刊少年ガンガン』を中心として作品を育て、ゲームとは異なるところから安定した収益を作る。この事業の広げ方は、外部から才能を見つけて作品へ結びつけてきたエニックスとも相性が良かったといえます。
ところが2001年、編集者の独立をきっかけとして、多くの漫画家がエニックスから離れる事態が発生します。
新たに創刊された『月刊コミックブレイド』へ作家が次々と移籍し、『ガンガンWING』では連載作品の多くを失うほどの影響が出ました。スクウェアが映画事業で大きな損失を抱えた頃、エニックスでも出版事業の内紛によって足元が揺らいでいたのです。
つまり、2001年前後の両社は、かつての黄金期とは明らかに違う局面へ入っていました。
しかも問題は、それぞれの会社内部だけにあったわけではありません。
2000年代に入るとゲーム開発費は高騰し、大型タイトルを継続して作るには、それまで以上の資金力が必要になります。その一方で、国内の家庭用ゲームソフト市場は縮小していました。
大作を作るためのお金は増えていくのに、それを販売する国内市場は以前ほど伸びていない。ゲームメーカーにとっては、かなり厳しい組み合わせです。
スクウェアにはFFを筆頭に、自社で大規模なゲームを開発できる力がありました。一方のエニックスには、ドラクエという巨大ブランドに加えて、外部の開発会社やクリエイターをまとめるパブリッシャーとしての強みがあり、出版を含めてゲーム以外から収益を生み出す仕組みも持っています。
こうして並べてみると、両社は驚くほど対照的です。
だからこそ、一方に足りないものをもう一方が補うという考え方には、一定の合理性がありました。
そして2002年11月26日、スクウェアとエニックスは合併を正式に発表。翌2003年、かつてドラクエとFFで競い合っていた二つの会社は、ついに「スクウェア・エニックス」という一つの会社になります。
当時のゲームファンからすれば、これはかなり夢のある話だったはずです。
ドラクエとFFを同じ会社が持つ。さらに『サガ』『聖剣伝説』などのシリーズも加わり、ゲーム業界でも屈指のIPを抱えるメーカーが誕生するわけですから、単純に戦力を足し合わせれば、とてつもなく強い会社になるように見えます。
ただ、会社というものは、名前を一つにしたからといって中身まで簡単に一つになるわけではありません。
スクウェアは自社の開発組織を中心としてゲームを作ってきた会社であり、エニックスは外部の開発会社と組みながら作品を世に送り出してきた会社です。合併後もドラクエシリーズでは外部開発を基本とする体制が続き、『ドラゴンクエストVIII』ではレベルファイブが開発に大きく関わるなど、それぞれが築いてきた制作スタイルは残りました。
ここに、スクウェア・エニックスという会社を見るうえで重要なポイントがあります。
2003年に誕生したのは、スクウェアとエニックスの文化が完全に溶け合った新しいゲーム会社というより、異なる強みを持った二つの会社が一つの看板の下へ集まった巨大企業でした。
合併によって経営基盤を強くすることはできても、それだけで面白いゲームが生まれるわけではありません。
むしろ、本当に難しいのはその後です。異なる文化を持った組織をどう動かし、巨大化していく開発現場をどうまとめ、それでもスクウェアらしい挑戦やエニックスらしい作品作りを失わずにいられるのか。
その答えを探していく中で、後のスクウェア・エニックスを象徴するほど大きな失敗と、そこからの劇的な復活が起こることになります。
FF14の大失敗から奇跡の復活へ!スクウェア・エニックスが失った信頼と取り戻したもの
スクウェアとエニックスが一つになったことで、経営規模は大きくなり、ドラクエとFFという二つの巨大ブランドを同じ会社が抱える体制も整いました。
ただ、それでゲーム開発そのものが簡単になったわけではありません。むしろ時代が進むにつれて要求される技術水準は高くなり、開発期間も予算も膨らんでいきます。
その難しさが、最も分かりやすい形で表面化した作品の一つが『ファイナルファンタジーXIV』でした。
FF14は、もともと『ファイナルファンタジーXI』に続くオンラインRPGとして2010年にサービスを開始しています。
FFという看板を背負った新しいMMORPGですから、当然ながら期待は小さくありません。しかし、実際に世に出た旧FF14は、その期待に応えられる状態とは言いにくいものでした。
問題は一つではありません。
ゲームを快適に遊ぶためのユーザーインターフェース、サーバーや通信に関する問題、コンテンツの不足など、プレイヤーが長く遊ぶオンラインゲームとして根本的な部分に不満が集中します。
さらに重かったのは、FFという名前が付いていたことです。
無名のオンラインゲームが失敗したのとは意味が違います。それまで何十年も積み重ねてきた「ファイナルファンタジーなら一定以上のものを見せてくれる」という期待そのものを傷つける結果になってしまいました。
そして、この状況を立て直すためにプロジェクトへ加わったのが吉田直樹氏です。
ここからFF14は、一般的なゲームの改善とはかなり違った道を進むことになります。
普通であれば、不具合を直し、コンテンツを追加しながら少しずつ評価を取り戻していくところです。しかしFF14では、旧版の運営を続けながら、その裏側で新しいFF14を一から作り直すという大規模な再建が進められました。
しかも、単純にグラフィックをきれいにするという話ではありません。
プレイヤーがどのように画面を見るのか、どのように操作するのか、戦闘へどう参加するのか。MMORPGとして遊び続けてもらうために必要な部分を根本から見直し、旧FF14を改修するだけではなく、別物といえるところまで作り替えていきます。
その過程で旧FF14の世界そのものを終わらせるという方法が選ばれたのも、この再生プロジェクトを象徴する出来事でした。
旧版のサービス終了を、ただサーバーを停止するだけで終わらせるのではなく、ゲーム内の物語と結びつける。そして、その先に新しい世界を用意する。
失敗した作品をなかったことにするのではなく、その失敗さえも次の物語へ組み込んでしまったわけです。
こうして2013年、『ファイナルファンタジーXIV: 新生エオルゼア』として新しいFF14がスタートします。
結果は旧版とは大きく異なりました。サービス開始直後にはアクセスが集中し、サーバーが耐えられないほどプレイヤーが集まったことで、ダウンロード版の販売を一時停止する事態にまでなります。さらに、開始から約2か月で有料会員数は60万人を突破しました。
旧FF14がシリーズへの信頼を揺るがした作品だったとすれば、『新生エオルゼア』はその評価を自分たちの手でもう一度ひっくり返した作品になったのです。
ここで見逃せないのは、FF14の復活が単なる一作品の成功ではなかったことです。
ゲームは発売してしまえば終わりではありません。特にオンラインゲームでは、実際に遊んでいるプレイヤーが何に不満を感じ、どこを変えてほしいと思っているのかを受け止めながら、長期間にわたって改善を続ける必要があります。
つまり、開発側が「自分たちはこれを作りたい」と考えるだけでは成立しないジャンルでもあります。
かつてのスクウェアは、新しい技術や映像表現へ積極的に挑戦することでFFを成長させてきました。それ自体が悪かったわけではありません。ただ、技術的に高度なものを作ることと、実際に触ったプレイヤーが面白いと感じることは同じではない。この当たり前にも思える違いが、開発規模の巨大化によって見えにくくなっていた部分はあったのかもしれません。
FF14の再建では、そこをもう一度プレイヤー側から見直す必要がありました。
何が不便なのか。なぜ遊び続けてもらえないのか。どこを変えれば面白くなるのか。
一度世に出したものを守ることよりも、問題を認めて作り直すことを選んだ。その判断があったからこそ、FF14は失敗の象徴で終わらず、長期間にわたってスクウェア・エニックスを支えるタイトルへ成長していきます。
ただし、ここで「FF14が復活したのだから、スクウェア・エニックスも立ち直った」と考えてしまうと、その後の流れを見誤ります。
FF14の再建が進んでいた時期、会社全体では別の問題が表面化していました。旧FF14の失敗に加えて、家庭用ゲームの高性能化による開発費の増大、開発期間の長期化、さらにスマートフォンやソーシャルゲームの台頭によって、ゲームビジネスそのものが急速に変化していたからです。
そして、この変化はその後のスクウェア・エニックスの作品にも少しずつ影響を及ぼしていきます。
FF14では一度失った信頼を取り戻すことができた。しかし、同じことが会社のすべてのタイトルで起こったわけではありません。
むしろここから先、スクウェア・エニックスは「大作を作る難しさ」と「数多くのタイトルを展開する難しさ」の両方に直面することになります。後にFF15をはじめとする作品で賛否が大きく分かれるようになった背景を考えるうえでも、この時期に起きたゲーム業界そのものの変化は無視できないのです。
なぜスクエニのゲームは賛否が分かれるのか?FF15以降に表面化した問題
FF14では、一度失った信頼を自分たちの手で取り戻すことに成功しました。
ところが、スクウェア・エニックス全体を見渡すと、その成功をきっかけにすべてが好転したわけではありません。2010年代後半からは高く評価される作品が生まれる一方、「以前のスクエニとは何かが違う」と感じるゲームファンも増えていきます。
その象徴として語られることが多いのが、2016年に発売された『ファイナルファンタジーXV』です。
もともとは『ファイナルファンタジー ヴェルサスXIII』として発表された企画であり、そこからタイトルや開発体制を変えながら、発表から約10年という長い時間を経て発売にたどり着きました。
結果だけを見れば、決して売れなかった作品ではありません。
全世界累計販売本数は1000万本に到達しており、グラフィックをはじめとする技術面でも高い評価を受けました。少なくとも商業的な規模だけを基準にすれば、FFというブランドの強さを改めて示した一本だったといえます。
それでも、FF15をめぐる評価は大きく割れました。
特に不満が集まったのが、物語の見せ方です。
本編が始まる前の出来事を映画やアニメなど別媒体でも描く構成が採用されたため、ゲームだけを遊んだ場合、世界で何が起きているのか、登場人物がなぜその行動を取るのかといった背景をつかみにくい部分がありました。
作品世界を複数のメディアへ広げること自体は、一つの挑戦として理解できます。ただ、RPGで重要な物語や人物への理解までゲームの外側へ分散すると、「ゲーム一本を買えば物語を十分に味わえる」と考えていたプレイヤーとの間にズレが生まれます。
さらに、その印象を強めたのが追加コンテンツの扱いでした。
予定されていた追加シナリオの一部が開発中止となり、物語を補完するはずだった内容がすべてゲームとして提供されることはありませんでした。そのため、販売本数では大きな成功を収めながらも、「最後まで完成した状態の物語を遊びたかった」という不満が残る結果になります。
ただ、ここでFF15だけを取り上げて「スクウェア・エニックスは面白いゲームを作れなくなった」と結論づけてしまうと、同じ時期に起きていたことを説明できません。
なぜなら2017年には、『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』が発売されているからです。
前作『ドラゴンクエストX』がオンライン専用作品だったこともあり、久しぶりの一人用ナンバリング作品として登場したドラクエXIは、シリーズが長年大切にしてきた冒険の感覚を現代のゲームとして組み直しました。
新しいものへ変えればいいわけでもなければ、昔のものをそのまま残せばいいわけでもない。その中間で「ドラクエを遊んでいる」と感じられる部分を残したことが、多くのシリーズファンに受け入れられます。
さらに同じ2017年には、プラチナゲームズとの共同開発による『NieR:Automata』も登場しました。
こちらはドラクエやFFほど巨大なシリーズではなかったにもかかわらず、独特の世界観や物語が口コミによって海外にも広がり、累計1000万本を超えるヒットへ成長しています。
そして2018年の『オクトパストラベラー』では、昔ながらのドット絵を単純に再現するのではなく、立体的な背景や光の表現と組み合わせた「HD-2D」という方向性を打ち出しました。この表現はその後も使われ、スクウェア・エニックスを代表するビジュアルスタイルの一つへ育っていきます。
こうして並べると、少し不思議な状況が見えてきます。
同じスクウェア・エニックスから、強い支持を集めるゲームも出ている。それなのに、会社全体に対するゲームファンの評価は必ずしも上向いていかない。
問題は「ヒット作を作れなくなった」という単純な話ではなかったのです。
その一つとして浮かび上がってくるのが、発売するタイトル数と一本ごとの品質をどう両立するのかという問題でした。
スクウェア・エニックスは家庭用ゲームだけでも数多くのタイトルを展開し、それと並行してスマートフォン向けゲームなども投入していきます。ラインナップが充実すること自体は悪いことではありませんが、発売時期が集中すれば、自社の作品同士で同じユーザーを奪い合う状況も起こります。
実際、後にスクウェア・エニックス自身も、自社タイトル間のカニバリゼーションによる機会損失があったことを認めています。さらに外部スタジオへ開発を委託する作品も多くなり、数を増やしながら一定の品質を保つ難しさまで表面化していきました。
その問題を強烈な形で印象づけたのが、2022年に発売された『BABYLON’S FALL』です。
オンライン専用タイトルとして発売されたものの十分なプレイヤーを集められず、発売から1年を待たずしてサービス終了を迎えました。買い切り型の商品として販売されながら、サービス終了後はゲームそのものを遊べなくなるという結末もあり、作品単体の失敗だけでは済まない印象を残しています。
ここまで来ると、「スクエニだから買う」というブランドへの信頼にも影響してきます。
ゲームは発売されて実際に遊んでみるまで、その完成度を完全には判断できません。だからこそ、メーカーやシリーズに対する信頼が購入を決める一つの材料になります。
かつてFFの新作が出るとなれば、「今度はどんなゲームを見せてくれるのか」という期待が先に立ちました。
ところが、完成度に大きな差のあるタイトルが短期間に続けば、「スクエニの新作だから楽しみ」ではなく、「発売後の評価を見てから決めよう」と考える人が増えても不思議ではありません。
ここが、販売本数だけでは見えにくい問題です。
スクウェア・エニックスには、この時期にもドラクエXIや『NieR:Automata』、『オクトパストラベラー』を生み出せるだけの力がありました。FF14も長期運営タイトルとして成長を続けています。
つまり、面白いゲームを作る力そのものが消えてしまったわけではありません。
むしろ、高く評価される作品と厳しく評価される作品が同じ会社から次々と出てくるため、「スクウェア・エニックス」という名前だけでは品質を予測しにくくなったことのほうが大きかったとも考えられます。
そして2024年、スクウェア・エニックス自身がこれまでの開発方針を大きく見直す段階へ入ります。
数多くの作品を市場へ送り出すことから、限られたタイトルへ人材と予算を集中させる方向へ。その変化は、近年感じられてきた問題を会社側も無視できなくなったことを示す、大きな転換点になっていきます。
スクウェア・エニックスは復活できるのか?量から質への転換と今後の課題
評価の高い作品を生み出す力は残っている。それでも、発売されるタイトルによって完成度に大きな差があり、「スクウェア・エニックスなら安心して買える」という信頼は以前ほど強くなくなっている。
そんな状況を会社側も放置していたわけではありません。
大きな転換点となったのが経営体制の変更です。約10年にわたって社長を務めた松田洋祐氏に代わり、2023年に桐生隆司氏が社長へ就任。さらに2024年3月期には、HDゲームの開発方針を見直したことで約221億円のコンテンツ廃棄損を計上することになります。
221億円という金額だけを見ると、かなり大きな痛手です。
ただ、見方を変えれば、開発中だからという理由だけで企画を残し続けるのではなく、「この作品に本当に投資を続けるべきなのか」を選び直した結果でもあります。
そこで新たに打ち出された方向性が、タイトル数を追いかけるのではなく、一本ごとの品質を高める「量から質」への転換でした。
2024年5月に発表された中期経営計画では「スクウェア・エニックスの再起動」を掲げ、タイトルを絞り込みながら開発体制そのものを見直す方針が示されています。これまで複数に分かれていた事業部の体制にも手を入れ、組織をより一体的に運営する方向へ動き始めました。
この方針は、近年起きていた問題を振り返ると理解しやすくなります。
いくら豊富なIPを持っていても、多数のタイトルを同時に動かせば、人材や予算は分散します。外部スタジオへの委託を増やせば開発本数を確保しやすくなる一方、作品ごとの品質をどこまで管理できるのかという別の難しさも生まれます。
そして発売本数を増やした結果、自社のゲーム同士でユーザーを奪い合ってしまえば、せっかく作品を作っても一つひとつが十分に注目されません。
それなら、作るゲームそのものを選び、その一本へ人材と予算を集中させる。
言葉にすると当たり前に聞こえますが、数多くの開発ラインとIPを抱えるスクウェア・エニックスにとっては、会社の作り方そのものを変えるほど大きな方針転換です。
さらに、もう一つ見逃せない変化があります。
特定のゲーム機へ強く依存する販売戦略から、複数のプラットフォームへ作品を届ける方向へ動き始めたことです。
スクウェアという会社の歴史を振り返ると、これはかなり意味のある変化に映ります。
『FFVII』ではPlayStationを選択したことが大きな成功につながり、スクウェア自身も一気に世界的な存在へ成長しました。それ以降もFFシリーズは、その時代の高性能なゲーム機を象徴するような作品を作り続けています。
ところが現在は、一つのハードへ集中するメリットだけを考えればいい時代ではなくなりました。
2024年に発売された『FINAL FANTASY VII REBIRTH』は作品そのものでは高い評価を得た一方、PlayStation 5向けに発売されたことで、最初から届けられるユーザーの範囲には制約がありました。
そこでスクウェア・エニックスは、Nintendo Switch、PlayStation、Xbox、PCなどを含め、主要なプラットフォームへ作品を展開していく方針へ舵を切っています。
その変化を分かりやすく感じられる作品の一つが、2024年発売の『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』のHD-2D版です。複数の家庭用ゲーム機とPCへ幅広く展開され、「遊びたい人が持っているハードで遊べる」という考え方が以前より明確になりました。
ここまでを見ると、スクウェア・エニックスは復活へ向けてかなり大きく動き出しているように見えます。
ただ、本当に評価が変わるかどうかは、経営計画を発表しただけでは決まりません。
結局のところ、プレイヤーが判断するのは実際に発売されたゲームが面白いかどうかだからです。
タイトル数を減らしたとしても、その一本が期待に応えられなければ意味がありません。マルチプラットフォーム化によって販売機会を広げても、作品そのものに魅力がなければ、遊べる人が増えただけで終わってしまいます。
だからこそ、今後のスクウェア・エニックスを考えるうえで重要になってくるのが、『ドラゴンクエストXII 選ばれし運命の炎』や『キングダム ハーツIV』といった大型タイトルです。
いずれも会社を代表するシリーズである一方、発売時期を含めて見通せない部分が残っています。開発期間が長くなれば、そのぶんファンの期待も膨らみますし、完成した作品へ求められる水準も自然と高くなります。
特にドラクエは、大きな節目を迎えています。
2026年でシリーズ誕生から40周年となりましたが、長年にわたってキャラクターデザインを担った鳥山明氏、音楽を担当してきたすぎやまこういち氏はすでに亡くなっています。堀井雄二氏を含む中心人物たちによって形作られてきた「ドラクエらしさ」を、これから先の世代へどう受け継いでいくのか。
これは単に新作を一本成功させれば解決する問題ではありません。
そして、それはFFにも似たことがいえます。
映像技術の最先端を目指すだけでなく、FFという名前からプレイヤーが何を期待しているのか。その期待を守りながら、昔と同じものを繰り返すだけではない作品をどう作るのか。
ドラクエもFFも長く続いたシリーズだからこそ、変えなければ古くなり、変えすぎれば「自分が好きだったシリーズとは違う」と受け取られます。この難しいバランスに向き合わなければなりません。
そう考えると、スクウェア・エニックスの復活とは、昔のスクウェアやエニックスへ戻ることではないはずです。
1980年代や1990年代と同じ開発環境を取り戻すことはできませんし、当時活躍したクリエイターをそのまま集め直すこともできません。
必要なのは、かつて両社が持っていた**「まだ誰も見たことのないゲームを作ろうとする力」と「プレイヤーが何を面白いと感じるのかを見失わないこと」**を、現在の巨大な開発環境の中でも両立できるかどうかです。
タイトルを絞ることも、組織を変えることも、販売するハードを増やすことも、そのための手段にすぎません。
スクウェア・エニックスが本当に復活したと判断される瞬間が来るとすれば、それは決算の数字や経営計画ではなく、新作を遊び終えたプレイヤーから自然に「やっぱりスクエニのゲームは面白い」と言われるようになったときなのだと思います。
スクウェア・エニックスの歴史が教えてくれる、本当に面白いゲームを生み出すために必要なもの
スクウェア・エニックスの歴史を振り返ってみると、単純に「昔は良かった、今は駄目になった」という話では片付けられないことが分かります。
スクウェアにも映画事業で会社そのものが揺らぐほどの失敗があり、エニックスも出版事業で大きな混乱を経験しました。合併後には旧FF14の失敗があり、その一方で『新生FF14』という劇的な復活もあります。
近年に目を移しても同じです。
FF15のように評価が大きく分かれた作品があれば、『ドラゴンクエストXI』『NieR:Automata』『オクトパストラベラー』のように強く支持された作品も生まれています。
つまり、スクウェア・エニックスが突然ゲームを作れなくなったわけではありません。
それでも「昔ほど評価されなくなった」と感じる人がいるとすれば、考えるべきなのは個々の作品の売上だけではなく、スクウェア・エニックスという名前から何を期待できるのかが見えにくくなったことなのだと思います。
かつてのスクウェアは、新しいゲーム機が登場するたびに「このハードなら、今までできなかった何ができるのか」を考え続けていました。
初代FFではドラクエとは違うRPGを作ろうとし、『FFVII』ではCD-ROMと3DCGを生かして、それまで家庭用ゲームでは見たことのなかった規模の世界を作っています。
もちろん、その挑戦がすべて成功したわけではありません。
むしろ新しいものを求め続けたからこそ、映画版『ファイナルファンタジー』のような大失敗にもつながりました。
一方のエニックスには、自分たちだけですべてを作ろうとしない強さがありました。
堀井雄二氏や中村光一氏を発掘し、鳥山明氏やすぎやまこういち氏を加え、それぞれの才能を一つの作品へ集めて『ドラゴンクエスト』を生み出す。自社の中だけに答えを求めず、「誰と組めば面白いものを作れるのか」を考えることが、エニックスの強みでもありました。
この二つの会社が持っていたものは、方法こそ違っていても、根本では似ていたのかもしれません。
面白いゲームを作るために、今までのやり方に固執しないことです。
ところが会社が巨大になり、一本のゲームへ何十億円という規模の予算が動くようになると、挑戦の意味も変わってきます。
開発期間が長くなれば失敗したときの損失は大きくなり、多くのスタッフが関われば意思決定も複雑になります。シリーズが世界的なブランドへ成長すれば、「今回は実験的な作品なので失敗しても仕方がない」と簡単には言えません。
だからこそ、現在のスクウェア・エニックスが置かれている状況は難しいのです。
ただ、ここで忘れたくないのがFF14の復活です。
旧FF14では、ゲーム体験そのものよりグラフィックへ過剰にこだわってしまったことが、開発を歪めた要因の一つとして語られています。そこから小さな修正を繰り返すのではなく、根本から作り直す決断を下した結果、『新生エオルゼア』として生まれ変わりました。
これはスクウェア・エニックスの歴史を考えるうえで、かなり象徴的な出来事です。
最新技術を使っているから面白いわけでも、開発費をかけたから名作になるわけでもありません。もちろん美しいグラフィックも重要ですが、それはプレイヤーが作品世界へ入り込むための手段の一つです。
RPGであれば、先へ進みたくなる世界があり、成長させたくなるキャラクターがいて、その旅の結末を自分の目で確かめたいと思えること。戦闘や探索を含めた一つひとつの体験が噛み合って初めて、技術や映像もゲームの魅力として生きてきます。
そしてもう一つ、長く愛されるシリーズほど避けられないのが「変えること」と「残すこと」の難しさです。
ドラクエを40年前とまったく同じゲームとして作り続けることはできません。それでは新しいプレイヤーへ届かなくなる可能性があります。
反対に、何もかも変えてしまえば、長年遊んできた人が「これは自分の知っているドラクエではない」と感じるかもしれません。
FFも同様です。
作品ごとに世界やシステムを大胆に変えてきたシリーズだからこそ挑戦は欠かせませんが、その変化の先に「FFだから遊びたい」と思わせるものが残っている必要があります。
この答えは、経営計画の中に書けるほど単純なものではありません。
だからこそ2024年から始まった「量から質」への転換が本当に意味を持つのは、発売本数が減ったときではなく、そこから生まれたゲームをプレイヤーが実際に遊んだときです。
スクウェアとエニックスが一つになってから20年以上が経ちました。その間には成功も失敗もあり、かつて別々の会社だった頃には想像できなかったほど巨大なゲーム企業になっています。
それでも、最初に『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』が生まれた頃までさかのぼれば、意外なほど答えはシンプルです。
まだ家庭用ゲーム機でRPGが一般的ではなかった時代に、それでも面白いと信じて作った人たちがいた。成功した作品をそのまま真似するのではなく、自分たちなりの面白さを加えようとしたからこそ、ドラクエとFFは別々の魅力を持つシリーズになりました。
スクウェア・エニックスに必要なのも、過去の黄金時代をそのまま再現することではないはずです。
「このゲームを遊んだ人に、何を感じてもらいたいのか」。
大規模な開発や最新技術、強力なIPも、その答えを形にするために使われてこそ意味があります。
かつて日本のRPGを大きく変えた二つの会社が一つになったスクウェア・エニックスだからこそ、もう一度「次は何を見せてくれるのだろう」と発売前から期待したくなる会社になれるのか。
2024年から始まった「再起動」の結果が見えてくるこれからの作品は、その答えを判断する重要な存在になりそうです。
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