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なぜあれほど流行ったのに消えた?ほぼ絶滅したゲームジャンル8選

なぜあれほど流行ったのに消えた?ほぼ絶滅したゲームジャンル8選

「昔はあれだけ遊んでいたのに、そういえば最近まったく見なくなったな……」

長くゲームを遊んでいると、そんなジャンルがいくつか思い浮かぶのではないでしょうか。

新しいゲームが次々と生まれる一方で、かつてゲームセンターの主役だったものや、専用コントローラーまで発売されるほど人気だったものが、いつの間にか姿を消していることもあります。

しかも面白いのは、単純に「人気がなくなったから」という理由だけではないことです。テレビの進化によって従来の遊び方が成立しなくなったジャンルもあれば、あまりにも完成度の高い定番作品が生まれた結果、後発作品が入り込めなくなったケースもありました。巨大な筐体ゆえに採算が合わなくなったものなど、消えていった事情は驚くほどバラバラです。実際、今回取り上げる題材も「かつて多くのゲーマーが熱狂していたのに、現在ではほとんど話題にならなくなったジャンル」という視点から8種類に分けられています。

そこで今回は、かつて大流行したにもかかわらず、現在ではほぼ見かけなくなった8つのゲームジャンルを振り返ります。

「あったな、これ!」と懐かしむだけではなく、なぜあれほど流行ったゲームが消えてしまったのか。 その理由をたどってみると、ゲームそのものだけでなく、遊ぶ環境や技術、そしてゲーム業界が大きく変わってきた歴史まで見えてきます。

1. ガンシューティング テレビが薄くなったことで遊び方そのものが消えた

銃型のコントローラーをテレビへ向け、画面に現れた敵を狙って引き金を引く。かつてのガンシューティングは、普通のコントローラーでは味わえない「自分で撃っている感覚」が魅力のゲームジャンルでした。

家庭用では専用の銃型コントローラーを使い、ゲームセンターでは筐体に備え付けられた銃を構えて遊ぶ。1990年代には『バーチャコップ』『タイムクライシス』『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド』なども登場し、ゲームセンターで実際に遊んだ記憶がある人も多いと思います。

ところが、現在の家庭用ゲームでは、このタイプのガンシューティングをほとんど見かけなくなりました。

FPSやTPSのような別のシューティングゲームが広く遊ばれるようになったことも関係していますが、それだけで説明できる変化ではありません。昔ながらのガンシューティングが家庭から姿を消した背景には、ブラウン管テレビから液晶テレビへの移行という、ゲームとは別のところで起きた技術の進化が大きく関係していました。

そもそも昔の光線銃は、銃からテレビへ光線を発射して命中位置を調べていたわけではありません。

引き金を引くと画面が一瞬だけ暗くなり、その直後にターゲットとなる部分だけが白く表示されます。銃の内部にあるセンサーがその光を受け取り、どこを狙っていたのか判定する仕組みでした。つまり、光を出していたのは銃ではなくテレビ側であり、銃はそれを読み取る役割を持っていたことになります。

この仕組みを成立させていたのがブラウン管です。ブラウン管は電子線を走らせながら画面を描いていたため、引き金を引いた瞬間にどの位置が描画されているのかを利用して、狙った場所を判定できました。

しかし、家庭のテレビが液晶へ置き換わると状況が一変します。

液晶テレビはブラウン管とは画面を表示する仕組みが異なるため、それまで使われていた光線銃の方式をそのまま利用できません。WiiやSwitchなどでは別の技術を利用した体感型シューティングも登場しましたが、テレビへ銃を向け、その位置を光線銃で直接読み取るという昔ながらの遊び方そのものが成立しなくなったわけです。

こうして考えると、ガンシューティングが衰退した理由は「人気がなくなった」の一言では片づけられません。

ゲーム機が進化すると、それまでできなかった遊びが生まれる一方、周辺機器やテレビなどの環境が変わったことで成立しなくなる遊びもあります。あれほどゲームセンターや家庭で親しまれていたガンシューティングが姿を消していった背景には、ゲームとは直接関係なさそうに見えるテレビの進化が、ジャンルそのものの存続を左右したという意外な事情があったのです。

2. 落ちものパズル テトリスとぷよぷよが完成されすぎていた

ガンシューティングが「遊ぶための環境そのものが変わったことで衰退したジャンル」だとすれば、落ちものパズルは少し事情が違います。

というのも、落ちものパズル自体が遊ばれなくなったわけではありません。『テトリス』と『ぷよぷよ』は現在でも現役であり、新作も登場しています。それなのに、この2作品以外へ目を向けてみると、かつて大量に存在していた落ちものパズルの多くがいつの間にか姿を消しています。

特に盛り上がっていたのが1990年代でした。

『コラムス』『対戦ぱずるだま』『パズルボブル』『マジカルドロップ』『パネルでポン』など、当時はゲームセンターでも家庭用ゲームでもさまざまな落ちものパズルが登場しており、それぞれ異なるルールやキャラクターでプレイヤーを楽しませていました。今振り返ると、一つのジャンルからこれほど多彩な作品が生まれていたことに驚かされます。

では、なぜそこまで活気のあったジャンルが、現在では『テトリス』と『ぷよぷよ』の存在感ばかり目立つ状態になったのか。

その理由として大きいのが、先に登場した2作品のゲームシステムがあまりにも完成されていたことです。

『テトリス』は上から落ちてくるブロックを組み合わせ、横一列をそろえて消していくという極めてシンプルなルールを採用しています。覚えること自体は少ない一方で、積み方を考え始めると奥が深く、プレイヤーの技量によって遊び方が変化していきます。

一方の『ぷよぷよ』は、同じ色のぷよを消す基本ルールへ「連鎖」と「対戦」を強く組み込んだことで、別方向の面白さを確立しました。大きな連鎖を組み、それを相手への攻撃につなげる仕組みによって、パズルでありながら対戦ゲームとしても成立しています。

つまり、同じ落ちものパズルという枠の中で、『テトリス』はブロックを整理して消していく面白さ、『ぷよぷよ』は連鎖を組み立てて相手と戦う面白さを、それぞれ早い段階で突き詰めてしまったことになります。資料でも、後発作品が入り込む余地が構造的に小さくなった理由として、この2作品の完成度が挙げられています。

もちろん、その後も新しい落ちものパズルが完全に作られなくなったわけではありません。それでも、ここ10年ほどを振り返って『テトリス』『ぷよぷよ』と並ぶ定番作品を挙げようとすると、すぐには思い浮かばない人も少なくないはずです。

ここが、このジャンルの少し不思議なところです。

普通なら人気ジャンルが確立すれば、それを土台として次々と有力作品が登場しそうなものですが、落ちものパズルではジャンルそのものよりも、代表する2作品の方が圧倒的に強くなってしまいました。 新しい作品が参入しても、プレイヤーから見れば「それならテトリスやぷよぷよでいい」となりやすく、新たな定番として定着するまでの壁が非常に高くなります。

その結果、落ちものパズルという遊び自体は現在まで生き残っているのに、かつてのように多種多様なタイトルが競い合う光景は見られなくなりました。

人気がなくなったから絶滅したのではなく、あまりにも強い完成形が早い段階で生まれてしまい、その2作品だけが何十年も生き残った。 ほかの絶滅ジャンルとは少し違う意味で、落ちものパズルもまた、ゲーム史の中で非常に珍しい道を歩んだジャンルといえます。

3. 体感型大型筐体 ゲーム機が巨大になりすぎた代償

落ちものパズルのように強すぎる定番作品が残った一方で、遊びとしては魅力的だったのに、ビジネスとして維持することが難しくなったジャンルもあります。その代表格が、かつてゲームセンターの一角で強烈な存在感を放っていた体感型大型筐体です。

バイク型の筐体へまたがって車体を傾けたり、座席ごと動くマシンへ乗り込んだりと、体感型ゲームでは画面を見ながらコントローラーを操作するだけでは得られない体験が味わえました。ゲームセンターへ入った瞬間、大きな筐体が動いている光景に目を奪われた経験がある人もいると思います。

この分野で積極的に作品を送り出していたのがセガでした。

1985年には、バイク型の筐体へ実際にまたがり、車体を傾けながら操作する『ハングオン』が登場。その後も『スペースハリアー』『アウトラン』『アフターバーナー』などが続き、ゲームセンターだからこそ成立する豪快な遊びが次々と生まれていきました。ほかのメーカーからも動く筐体が登場し、1980年代後半には一つの大きな流れになっていきます。

そして、その方向性をとことん突き詰めた存在として登場したのが、1990年の『R360』でした。

この筐体は座席部分が少し揺れるといった程度ではなく、プレイヤーが乗り込んだ状態で縦にも横にも360度回転するという、とんでもない構造を採用しています。もはや大型のゲーム機というより、遊園地のアトラクションに近いものをゲームセンターへ持ち込んだような存在でした。

当然ながら、その規模になると価格も普通のアーケード筐体とは比較になりません。

正式な販売価格は1800万円とされ、重量も約1.1トン。設置するためには大きなスペースが必要で、生産台数も150台に限られていました。さらに1プレイ500円と、当時一般的だった1プレイ100円のゲームと比べてもかなり高額です。

プレイヤーからすれば一度は乗ってみたくなるマシンですが、店舗側の立場になると事情が変わってきます。

1800万円の本体代だけを考えても、1プレイ500円なら単純計算で3万6000回遊んでもらわなければ本体価格を回収できません。しかも実際の店舗運営では、それだけで済むはずもなく、筐体を動かす電気代、大きな設置スペースにかかる費用、さらに故障した際のメンテナンスまで考える必要があります。

そのため、実際に採算を取るには7万~9万回ほどプレイしてもらう必要があったともされています。

ここまで条件が厳しくなると、どれだけ目立つゲームでも置き続けることは簡単ではありません。

導入直後は「なんだこれは」と興味を持った人が集まり、一度体験してみようという需要も期待できます。しかし、その状態が何年も続くわけではなく、プレイヤーが一巡すれば稼働率は少しずつ落ちていきます。それでも筐体が占有するスペースや維持費は変わらないため、店舗としては同じ場所にもっと収益を上げやすいゲームを置いた方が効率的になってしまいます。

実際、『R360』は1990年代のうちに姿を消していき、国内のゲームセンターでは1994年頃までにほぼ撤去されたとされています。

ここで重要なのは、体感型大型筐体が面白くなかったから消えたわけではないということです。

むしろ、家庭では絶対に再現できない体験を提供するという意味では、ゲームセンターという場所を最大限に活用した遊びでした。ただ、その体験を豪華にすればするほど筐体は大きく、高価になり、店舗側の負担も増えていきます。プレイヤーにとっての魅力を追求した結果、今度はビジネスとして維持することが難しくなるという矛盾を抱えていたことになります。

現在でも体を動かして遊ぶゲームそのものが消えたわけではありませんが、かつてのような巨大な可動式筐体はほとんど見られなくなりました。その役割の一部はVRなどの新しい体験へ移っていったとも考えられます。

ゲームセンターでしかできない体験を突き詰めた結果、ゲーム機そのものが巨大になりすぎてしまった。 あの大きな筐体が並んでいた時代が特別に感じられるのは、同じものを現在のゲームセンターで再現することが、それだけ難しくなっているからでもあります。

4. ライフ制クイズゲーム 問題を覚えられた瞬間に成立しなくなる

巨大な筐体を維持できずに姿を消した体感型ゲームとは対照的に、ゲームのルールそのものに長く続けることの難しさを抱えていたジャンルもありました。それが、かつてゲームセンターで人気を集めたライフ制のクイズゲームです。

画面に表示された問題へ回答し、正解すれば先へ進めるものの、間違えるとライフが減っていく。そして、すべてのライフを失ったところでゲームオーバーになる。この仕組み自体は非常に分かりやすく、テレビのクイズ番組へ自分が回答者として参加しているような感覚で遊べるのが魅力でした。

1989年にはカプコンから『アドベンチャークイズ カプコンワールド』が登場し、クイズのためにキャラクターや世界観まで用意するスタイルが人気を集めます。その後はさまざまなメーカーが参入し、1990年代初頭にはアーケードのクイズゲームが「ドル箱」と呼ばれるほど盛り上がっていました。

ところが、この形式には避けることの難しい問題があります。

どれだけ大量の問題を用意しても、同じプレイヤーが繰り返し遊べば、いずれ答えを覚えてしまうことです。

現在のゲームなら新しい問題をオンラインで追加することもできますが、当時のアーケードゲームでは問題が基板へ収録されており、稼働を始めてから内容を自由に追加したり、古くなった答えを書き換えたりすることができませんでした。つまり、最初に用意した問題をプレイヤーが覚えていく一方で、ゲーム側は新しい問題へ入れ替えられなかったわけです。

しかも、ライフ制だったことが別の難しさも生みました。

何度も遊んで問題と答えを覚えた常連プレイヤーは、ほとんど間違えずに先へ進めるため、100円でかなり長い時間遊べるようになります。反対に初めて遊ぶ人は、知らない問題が続けばあっという間にライフを失い、短時間でゲームオーバーになってしまいます。

これでは店舗側にも新規プレイヤーにも都合が良いとは言えません。

上手な人ほど長時間筐体を使うので回転率が下がり、初心者からすれば「100円を入れたのにすぐ終わった」という印象が残ります。プレイヤーが上達するほど店舗側の収益性が下がり、慣れていない人ほどゲームから離れやすくなるという、かなり厄介な構造を抱えていたことになります。

ただし、ここで消えていったのはクイズゲームそのものではありません。

その後のクイズゲームは、当時の弱点を解消する方向へ進化していきました。

大きな転換点となったのが、2003年にコナミから登場した『クイズマジックアカデミー』です。タッチパネルやオンライン対戦を取り入れただけでなく、ネットワークを通して新しい問題を配信できるようになったことで、「収録されている問題を覚えられたら終わり」という従来の弱点を大きく改善しました。

さらに、単純にライフがゼロになったら終了するのではなく、ほかのプレイヤーとの成績を比較して勝敗を決める方式へ変化したことで、難しい問題が出たからといって即座にゲームが終わる必要もなくなります。

こうなると、同じ「クイズに答えるゲーム」でも中身はかなり違います。

かつてのライフ制クイズゲームが、最初から収録された有限の問題を使いながら「何問間違えずに進めるか」を楽しむものだったのに対し、オンライン時代のクイズゲームは問題そのものを追加し続けられ、ほかのプレイヤーとの競争もゲーム性へ組み込めるようになりました。

つまり、クイズゲームが絶滅したのではなく、長く遊び続けられる形へ進化する過程でライフ制という仕組みが必要なくなっていったと考える方が実態に近いです。

新しい技術によって昔のゲームが遊べなくなったガンシューティングとは反対に、こちらはオンラインという新しい技術が、それまで抱えていた問題を解決しました。その結果としてクイズゲームそのものは生き残り、かつて主流だった遊び方だけが静かに姿を消していったのです。

5. ベルトスクロールアクション 一度は消えたが別の場所で復活した

クイズゲームが時代に合わせて遊び方を変えることで生き残ったように、一度は衰退したものの、時間を置いて再び存在感を取り戻したジャンルもあります。

その一つが、ベルトスクロールアクションです。

画面に次々と現れる敵をパンチやキックで倒しながら先へ進み、最後に待ち受けるボスを目指す。基本的な遊び方は非常に分かりやすく、ゲームセンターでは友人と横に並んで協力プレイを楽しめることも大きな魅力でした。家庭用ゲームでも数多くの作品が登場したため、1980年代後半から1990年代にゲームを遊んでいた人にとっては、かなり馴染み深いジャンルだと思います。

このスタイルを広めた作品として挙げられるのが、1986年の『熱血硬派くにおくん』や1987年の『ダブルドラゴン』です。そして1989年にはカプコンから『ファイナルファイト』が登場し、大ヒットを記録したことでベルトスクロールアクションの人気が一気に高まりました。

その後は同じカプコンからも『キャプテンコマンドー』や『天地を喰らう』などが登場し、ゲームセンターでは数多くのベルトスクロールアクションが遊ばれるようになります。

ただ、人気が高まれば当然ながら似た作品も増えていきます。

基本的には画面内の敵をすべて倒し、先へ進んで、また現れた敵を倒すという流れになるため、作品ごとにキャラクターや攻撃方法が違っていても、ゲーム全体の構造には似た部分が多くなります。新しい作品が次々と投入されるほど新鮮さを出すことが難しくなり、ジャンル全体として飽和しやすい状況が生まれていきました。

さらに時代が進むと、ゲームそのものの表現も2Dから3Dへ移っていきます。

ここでベルトスクロールアクションが持っていた「大勢の敵を次々となぎ倒していく」という面白さが消えたわけではありません。むしろ、その気持ちよさは3Dアクションなど別の形へ受け継がれ、より自由に動き回れるゲームの中でも楽しめるようになっていきます。

そうなると、横方向を中心に進みながら敵を倒していく昔ながらの形式を、あえて新作として大量に作る必要性は薄くなります。

つまり、ベルトスクロールアクションの場合は、遊びそのものが求められなくなったというより、そこで生まれた面白さが後のアクションゲームへ吸収されていった結果、独立したジャンルとしての存在感が小さくなったと考えると分かりやすいです。

ところが、このジャンルにはここから面白い動きが起こります。

長い間、新作をほとんど見かけない時期が続いていたものの、2020年には『ベア・ナックルIV』が登場しました。『ベア・ナックル』シリーズとしては26年ぶりとなる新作で、昔ながらのベルトスクロールアクションを現代向けに作り直した作品として復活を果たしています。

さらに2022年には『Teenage Mutant Ninja Turtles: Shredder’s Revenge』が発売され、こちらは発売から1週間で100万本を突破しました。興味深いのは、こうした復活を支えた作品が、かつてジャンルを牽引していた大規模なアーケード展開ではなく、インディー規模の開発から生まれている点です。

ここには、現在だからこそ成立する事情があります。

ゲームセンターを主戦場としていた時代には、筐体を設置してもらい、多くのプレイヤーに繰り返し遊んでもらえる作品でなければビジネスとして成立しにくい面がありました。一方、現在はダウンロード販売を通じて世界中のプレイヤーへ直接届けることができるため、昔ほど巨大な市場を狙わなくても、そのジャンルを好きな人へ作品を届けやすくなっています。

その結果、かつて主流から外れていったゲームジャンルにも、もう一度活躍できる場所が生まれました。

ゲームセンターではほぼ姿を消したのに、遊びそのものは完全には死んでいなかった。 ベルトスクロールアクションの現在を見ると、ゲームジャンルは一度衰退したからといって、そのまま絶滅するとは限らないことが分かります。

時代が変わり、売り方や遊ぶ場所まで変化すれば、昔のゲームが再び求められることもある。ベルトスクロールアクションは、今回取り上げるジャンルの中でも「消えた後に新しい居場所を見つけた」という、少し珍しい道を歩んでいる存在です。

6. 音声認識ゲーム 未来を先取りしすぎて技術が追いつかなかった

ベルトスクロールアクションが時代を越えて再び居場所を見つけた一方で、登場したタイミングがあまりにも早く、技術が成熟する前に勢いを失ってしまったゲームもあります。

その代表的な存在が、プレイヤー自身の「声」を操作に使う音声認識ゲームです。

ボタンを押して決められた選択肢を選ぶのではなく、マイクに向かって実際に話しかけると、ゲームの中にいるキャラクターが反応してくれる。現在ならAIや音声アシスタントなどで珍しくなくなった仕組みですが、1990年代後半にこれをゲームとして体験できたことを考えると、かなり先進的な試みだったことが分かります。

その遊びを広く知られるきっかけにした作品の一つが、1998年にNINTENDO64で発売された『ピカチュウげんきでちゅう』でした。

専用の音声認識ユニットとマイクを使い、画面の中にいるピカチュウへ実際に話しかけながらコミュニケーションを取るという内容で、国内では約70万本を売り上げています。ただし、当時の技術で自由な会話ができたわけではなく、認識できる言葉は場面をすべて合わせても200~300語ほどに限られていました。

それでも興味深いのは、技術的な制約をゲーム側の工夫で補っていたことです。

場面ごとに認識できる言葉を切り替え、こちらの言うことを聞いてくれない場合も、単なる認識失敗ではなく「ピカチュウ自身の意思」と感じられるように作られていました。思い通りに反応しないことまでキャラクターの個性として受け入れられるようにしたことで、当時の音声認識技術でもゲームとして成立させていたわけです。

そして翌1999年には、ドリームキャストで『シーマン ~禁断のペット~』が登場します。

こちらもマイクを使ってキャラクターと会話することが大きな特徴で、約39万9000本を売り上げました。ボタンではなく「話すこと」自体を遊びへ変えるという発想は強烈で、音声認識だからこそ成立するゲームの可能性を感じさせる作品でもありました。

ところが、この流れはそのまま大きなゲームジャンルとして定着したわけではありません。

問題がはっきりと表れた例として挙げられるのが、2003年にPlayStation 2で発売された『オペレーターズサイド』です。プレイヤーがマイクへ話しかけ、その指示に従ってヒロインが行動するという仕組みを採用していましたが、ここでは音声認識の精度がゲームプレイそのものへ直接影響するようになります。

会話を楽しむだけなら、多少認識されなくても言い直すことができます。しかし、戦闘中となれば話は別です。

「右へ移動してほしい」「敵を攻撃してほしい」と伝えているのに正しく認識されなければ、その数秒がそのまま不利な状況につながります。リアルタイムで素早い反応を要求されるゲームと、まだ発展途上だった音声認識技術の組み合わせは相性が難しく、認識の不安定さがプレイヤーのストレスにつながりました。

ここまで来ると、音声認識ゲームが抱えていた問題も見えてきます。

アイデアそのものが悪かったのではなく、ゲームが要求する精度に当時の技術が追いついていなかったのです。

キャラクターとのコミュニケーションを中心にすれば、多少の認識ミスも演出として吸収できます。一方で、声をコントローラーの代わりとして本格的に使おうとすると、プレイヤーが発した言葉を素早く、しかも正確に理解しなければなりません。その水準へ到達する前にブームが落ち着き、音声認識を中心に据えたゲームも次第に見かけなくなっていきました。

ただ、これで音声認識を使ったゲームが完全に終わったわけではありません。

規模は小さいものの、現在でも声だけで操作するアクションRPGや、実際に呪文を唱えて遊ぶ協力アクションなど、音声をゲームへ取り入れる試みは続いています。しかも現在の音声認識技術は、1990年代や2000年代初頭とは比べものにならないほど進歩しました。

そう考えると、このジャンルは「失敗して消えた」と片づけるより、実現したい遊びに対して登場する時代が早すぎたと見る方がしっくりきます。

声を理解してゲーム内のキャラクターが反応するという発想自体は、むしろ現在の技術との相性が良くなっています。かつては技術不足によって途切れてしまった音声認識ゲームが、今後まったく違う形で再び現れたとしても、不思議ではないところまで来ているのです。

7. 脱衣麻雀 人気ではなく業界ルールの変化によって消えていった

音声認識ゲームは技術が追いつく前に勢いを失いましたが、ゲームの外側で起きた変化によって姿を消していったジャンルもあります。その代表例として挙げられるのが、1980年代から1990年代のゲームセンターで独自の市場を築いていた脱衣麻雀です。

現在ではゲームセンターで新作を見ることはほぼありませんが、当時は決して珍しい存在ではありませんでした。

基本となるのはCPUを相手にした麻雀で、対局に勝利するとキャラクターのグラフィックや演出が段階的に変化していく仕組みが採用されていました。麻雀という昔からあるゲームに明確な目的を加えることで、「次の展開を見たいからもう一局」という動機を生み出していたわけです。

特に1980年代後半には多くのタイトルが作られ、専門メーカーまで存在するほど一つのジャンルとして定着していました。ゲームセンター側から見ても一定の需要が期待できたため、長く設置されるタイトルも少なくなかったとされています。

それほど市場が成立していたにもかかわらず、なぜ現在では新作をほとんど見かけなくなったのか。

ここで大きかったのが、ゲームそのものの人気ではなく、業界を取り巻くルールや環境が変化したことでした。

1980年代後半になると、アーケードゲーム業界では表現に関する自主規制が進み、さらに1990年前後には行政からの指導も強まっていきます。それまで許容されていた内容を、そのままゲームセンターへ置き続けることが難しくなり、メーカー側も表現を抑えながら作品を作る必要が出てきました。

それでもジャンル自体はすぐに消えたわけではなく、1990年代にも新作は作られています。ただ、以前と同じような作品を出しにくくなったことで、脱衣麻雀ならではの特徴は少しずつ弱くなっていきました。

さらに大きな転機となったのが、1999年頃の規定変更です。

それまでアーケード向けに作られていた麻雀ゲームにも新しい基準への対応が求められるようになり、作品を市場へ出すためのハードルが上がりました。審査や認定にかかる費用もメーカー側の負担となるため、以前ほど大きな市場ではなくなっていたジャンルへ新作を投入し続けることが難しくなっていきます。

ここが、ほかの衰退したゲームジャンルとは少し違うところです。

たとえば落ちものパズルなら強力な定番作品が市場を占め、体感型大型筐体なら導入費用や設置スペースの問題がありました。脱衣麻雀の場合、プレイヤーから突然求められなくなったというより、ゲームセンターで展開するための条件が変わったことで、それまで成立していたビジネスが続けにくくなったという事情が大きかったことになります。

ただし、ここでも麻雀そのものが衰退したわけではありません。

現在はオンライン対戦を中心とした麻雀ゲームが数多く存在し、競技として楽しむ環境も広がっています。一方、かつてゲームセンターに並んでいたタイプの脱衣麻雀は新作がほぼ作られなくなり、一部のレトロゲームセンターなどで古い筐体が残される程度になりました。

つまり、消えたのは麻雀ゲームではなく、「ゲームセンターで麻雀を遊び、その先に用意された演出を目的に対局を続ける」という一つのスタイルだったと考えると分かりやすくなります。

人気作品であっても、ゲームを取り巻くルールが変われば同じ形では続けられない。技術の進歩や流行だけでは説明できないところからゲームジャンルが消えることもあるという意味で、脱衣麻雀はアーケードゲームの歴史を振り返るうえでも特徴的な例となっています。

8. ガラケーのゲーム スマホの登場で巨大市場ごと消えてしまった

脱衣麻雀が業界を取り巻くルールの変化によって姿を消したのに対し、遊ぶための端末そのものが世代交代したことで、巨大な市場ごと失われたゲームもあります。

それが、スマートフォンが普及する以前に多くの人が遊んでいたガラケー向けゲームです。

今ではスマートフォンでゲームを遊ぶことに特別な感覚はありませんが、携帯電話がゲーム機として使われ始めた頃は事情がまったく違いました。それまで外出先でゲームをするならゲームボーイなどの携帯ゲーム機を持ち歩く必要があったところへ、普段から持っている携帯電話でもゲームを遊べる環境が生まれたからです。

その大きなきっかけとなったのが、1999年にNTTドコモが開始した「iモード」でした。

携帯電話からインターネットへ接続し、ニュースやメール、さまざまなオンラインサービスを利用できるようになったことで、携帯電話の役割そのものが変わっていきます。2000年8月には契約者数が1000万人を突破するほど急速に普及し、その流れの中で携帯電話向けコンテンツも大きな市場へ成長していきました。

そして2001年に登場した503iシリーズでは「iアプリ」に対応します。

これによって携帯電話へゲームをダウンロードし、端末上で動かせるようになりました。ゲームを遊ぶためだけに別の機械を持ち歩かなくても、電話やメールに使っている端末がそのままゲーム機になる。この手軽さは、当時としてはかなり大きな変化でした。

もちろん、現在のスマートフォンと比べれば性能には大きな制約があります。

画面は小さく、操作に使うのは方向キーや数字ボタンが中心。容量にも限界があるため、家庭用ゲームと同じ規模の作品をそのまま動かせるわけではありません。それでも、限られた性能の中で遊べるゲームが次々と作られ、2004年には『ドラゴンクエスト』の携帯電話向け作品も登場するなど、家庭用で知られていたシリーズまでガラケーへ進出していきました。

さらに時代が進むと、携帯電話でゲームを遊ぶ文化はネットワークとの組み合わせによって大きく広がっていきます。

GREEやモバゲー、mixiなどのサービスが普及すると、『釣り★スタ』や『怪盗ロワイヤル』をはじめとするソーシャルゲームが人気を集めました。一人で遊んで終わるのではなく、ほかのユーザーとつながりながらゲームを続ける仕組みが定着し、現在のスマートフォン向けゲームにつながる土台も作られていきます。

これだけ大きな市場へ成長したにもかかわらず、現在ではガラケー専用ゲームの新作を見かけることはほぼありません。

理由は非常に分かりやすく、ゲームが飽きられたのではなく、ガラケーそのものがスマートフォンへ置き換わっていったからです。

タッチパネルを備え、より大きな画面と高い処理性能を持つスマートフォンが普及すれば、携帯電話でゲームを遊びたい人も自然とそちらへ移っていきます。ゲームを提供するメーカーにとっても、利用者が減っていく旧来の携帯電話へ作品を作り続ける理由は薄くなり、ガラケーというプラットフォームと一緒に専用ゲームも市場から姿を消していきました。

ただ、ここには少し不思議なところがあります。

ガラケーゲームそのものはほぼ絶滅したにもかかわらず、そこで育った遊び方やビジネスの考え方まで消えたわけではありません。

携帯電話へゲームをダウンロードすること、短い時間でも遊べるように設計すること、ネットワークを通じてほかのプレイヤーとつながることなど、当時広がった要素の多くは形を変えながらスマートフォンゲームへ引き継がれています。

つまり、ガラケーゲームは人気を失って終わったというより、次の世代へ市場を丸ごと引き渡すような形で役目を終えたジャンルだったとも考えられます。

今回取り上げてきた中でも、これほど大きな市場が短期間で別のプラットフォームへ置き換わった例はかなり特徴的です。かつて電車の中や休憩時間に小さな画面と数字キーで遊んでいたゲーム文化は消えてしまいましたが、その先に生まれたスマートフォンゲームを見ると、ガラケー時代に作られた土台は今も残り続けていることが分かります。

消えたゲームを振り返ると、ゲーム業界が変わってきた理由まで見えてくる

ここまで8つのジャンルを振り返ってきましたが、改めて並べてみると、どれも同じ理由で消えたわけではないことが分かります。

ガンシューティングはブラウン管から液晶テレビへの移行によって、それまで使われていた光線銃の仕組みが成立しにくくなりました。体感型大型筐体は、家庭では味わえない体験を実現した反面、巨大化と高額化によって店舗側の負担が大きくなっています。

一方、落ちものパズルでは『テトリス』と『ぷよぷよ』という強力な定番が残り続け、新しい作品がその間へ入り込むことが難しくなりました。ライフ制クイズゲームの場合は、有限の問題を繰り返し遊ぶ仕組みに限界があり、オンラインで問題を追加できる新しい形式へ置き換わっています。

ベルトスクロールアクションのように、一度は表舞台から姿を消しながら、インディーゲームを中心に再び作品が作られるようになった例もありました。音声認識ゲームは発想に技術が追いつかず、脱衣麻雀は業界を取り巻くルールの変化が大きく影響しています。そしてガラケーゲームは、遊ばれなくなったというより、スマートフォンへの世代交代によって市場そのものが別の場所へ移っていきました。

こうして見ると、ゲームジャンルが消える理由は「つまらなくなった」「人気がなくなった」だけでは説明できません。

遊ぶための機械が変わることもあれば、店舗の採算が合わなくなることもあります。技術が早すぎる場合もあれば、反対に新しい技術が登場したことで古い仕組みが必要なくなることもありました。

そして何より興味深いのは、ジャンルが消えても、そこで生まれた面白さまで一緒に消えるとは限らないところです。

ベルトスクロールアクションの爽快感は形を変えながら現在のアクションゲームにも残り、ガラケー時代に広がった「いつでも持ち歩いて遊ぶ」という文化はスマートフォンへ受け継がれました。体感型ゲームが目指した「画面を見るだけではない体験」も、現在ではVRなど別の技術によって追求されています。

昔のゲームを振り返っているはずなのに、気がつけば現在のゲームがなぜ今の形になったのかまでつながってくる。この流れこそ、消えていったゲームジャンルを振り返る面白さだと思います。

今遊んでいるゲームの中にも、10年後や20年後には当たり前ではなくなっているジャンルがあるかもしれません。その一方で、現在ではほとんど見かけない遊びが、新しい技術や売り方を手に入れて突然復活する可能性もあります。

ゲームの歴史は、新しいものが古いものを単純に置き換えてきたわけではありません。消えた遊びの一部が別のゲームへ受け継がれ、そこでまた新しいジャンルへ変わっていく。 今回の8ジャンルを振り返ると、そんな積み重ねによって現在のゲーム文化が作られてきたことが見えてきます。

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