『トルネコの大冒険 不思議のダンジョン』といえば、入るたびに姿を変えるダンジョンへ挑み、手に入れたアイテムをどう使うか考えながら一歩ずつ進んでいく作品です。そんな往年のタイトルが「ちょっとステキなリマスター」として帰ってきたとなれば、かつて遊んだ人ほど期待したくなるところです。
ところが、実際にプレイしたユーザーから聞こえてきたのは、懐かしい作品が復活した喜びだけではありませんでした。特に指摘されているのが、斜め移動をはじめとした操作性やゲーム中のテンポ、画面表示など、実際にコントローラーを握って遊んだときに気になってくる部分です。レベルアップ演出で妙な間が生まれたり、階段を降りた直後に意図しない動作が発生したり、ミニマップとトルネコの表示が重なったりと、細かな違和感がいくつも挙げられています。
ここで気になるのは、単純に「大きなバグが残っていた」という話だけではないことです。
たとえば、ゲームが突然停止して先へ進めなくなるのであれば、誰が見ても明確な不具合だと判断できます。しかし、移動したときの感触がどこか気持ち悪い、演出の間が少し長く感じる、画面上の情報が見づらいといった問題は、プログラムとして正常に動いていたとしても、遊ぶ側にとっては確実にストレスになります。
しかも『トルネコの大冒険』のようなゲームでは、一歩移動して状況を確認し、次の一手を考えるという操作を何度も繰り返します。だからこそ、一回だけなら気に留めない程度の違和感でも、それが何十回、何百回と積み重なればプレイ全体の印象まで変わってきます。
そして今回、こうした不満とは別のところから、さらに気になる話が注目されることになりました。
それが、ゲームの品質テストにAIを活用する取り組みです。
もちろん、AIを使ったことだけを理由に今回の問題すべてを結びつけることはできません。ただ、「実際に人が遊べば気づくのではないか」と感じる部分への指摘が相次いだことで、ゲーム開発におけるAIテストはどこまで品質を担保できるのか、そして最後に人間が実際に遊んで確認することにはどんな意味があるのか、という話にまで広がっていきました。
では、プレイヤーが実際に感じたという「人が触れば気づく違和感」とは、具体的にどのようなものだったのか。まずはそこから見ていきます。
「人が触れば気づく」と言われたプレイ中の違和感
前の見出しでも触れたように、今回指摘されている問題は、ゲームがまったく遊べないほど致命的なものばかりではありません。むしろ気になるのは、実際にコントローラーを握って何度か操作しているうちに、「これ、少しおかしくないか」と感じるタイプの違和感が複数重なっていることです。
『トルネコの大冒険』では、ダンジョンの状況を確認しながら一歩ずつ移動し、敵との距離やアイテムの位置を見て次の行動を決めていきます。それだけに、操作した瞬間の反応や画面から情報を読み取るまでの流れは、ゲームを快適に遊ぶうえでかなり重要な部分になります。
斜め移動など操作部分への不満
なかでも分かりやすいのが、斜め移動を含めた操作性への指摘です。文字起こしでは斜め移動の操作性に加えて、階段を降りた直後に意図しない動作が発生するケースなども挙げられており、プレイヤーが入力した操作とゲーム側の反応との間に違和感を覚える場面があるとされています。
こうした問題は、不思議のダンジョンというゲームの性質を考えると軽く見にくいところがあります。
一歩動けば敵も一歩動く。その状況で「どのマスへ移動するか」を考えながら進めていくため、移動操作そのものがゲームの基本部分になっています。そこで思ったようにキャラクターを動かせない感覚が生まれると、単に操作しづらいだけではなく、ダンジョンを攻略していくリズムまで崩れかねません。
レベルアップや階段移動で感じるテンポの悪さ
もうひとつ興味深いのが、ゲーム中の「間」に対する指摘です。
レベルアップするたびに妙な間が入るとされているほか、階段を降りた直後の挙動についても不満が挙げられています。
一回だけを切り取れば、数秒にも満たない違いかもしれません。しかし、ダンジョンへ何度も潜り、レベルを上げ、階段を見つけて次のフロアへ進むゲームでは、同じ演出や操作を繰り返し見ることになります。そのたびに流れがわずかに止まれば、最初は気にならなかったものが次第に引っかかるようになっても不思議ではありません。
ゲームのテンポというものは、数字だけでは評価しにくい部分でもあります。「処理が正常に終了したから問題なし」と判断できるものではなく、実際に何度も遊んでみて初めて気づく感覚が確かにあります。
ミニマップやメッセージ表示にも違和感
そして操作以外では、画面上の見せ方についても指摘されています。
ミニマップの表示がトルネコ自身と重なって見づらくなるほか、メッセージの文章が不自然な位置で改行されるといった例が挙げられていました。
これもゲームの進行を完全に止めるような問題とは性質が異なります。それでも、ダンジョンの構造や現在位置を確認するためのミニマップ、状況を把握するためのメッセージは、プレイヤーが頻繁に目を向ける情報です。そこに見づらさが残っていれば、遊んでいる時間が長くなるほど気になる可能性があります。
こうして一つずつ見ていくと、今回の不満がなぜ「人が触れば気づく」という言葉につながったのかも見えてきます。
操作できる。ダンジョンにも入れる。レベルも上がる。それでも、実際に遊んだときの感触として何かがおかしい。
プログラムが正しく動作しているかを確認するテストと、プレイヤーが気持ちよく遊べる状態になっているかを確かめる作業は、必ずしも同じではありません。
そして、この違いを考えるうえで避けて通れないのが、今回もうひとつ注目された「AIによる品質テスト」の話です。なぜゲーム内の細かな違和感から、AIを使ったテストのあり方にまで議論が広がったのか。次はそこを掘り下げていきます。
なぜAIによる品質テストまで批判の対象になったのか
ここまで挙げてきた操作性や表示上の違和感だけであれば、「リマスター版の調整が十分ではなかった」という話で収まっていたかもしれません。
ところが、今回もうひとつ注目されたのが、ゲーム開発におけるAIを使った品質テストです。画面の状況を認識しながらコントローラーを操作するなど、ゲームのテスト工程をAIによって自動化する取り組みが紹介されていたことで、リマスター版で指摘された問題と結びつけて語られるようになりました。
ただし、ここは分けて考える必要があります。
今回挙げられている問題が、AIによるテストを導入したから発生したと断定できるわけではありません。AIが本作の品質確認にどこまで関わっていたのかについても、確認できる情報だけでは判断できない部分が残ります。
それでもプレイヤー側から「人間が実際に触って確認したのか」という疑問が出てきたのは、先ほど見てきた問題の性質と無関係ではありません。
ゲーム開発でも進むテスト工程の自動化
ゲームの品質を確認するためには、同じ操作を条件を変えながら繰り返したり、想定したとおりに処理が行われるか確認したりと、膨大なテストが必要になります。
今回話題になったAIテストについても、画面の状況を把握しながらゲームを操作し、品質確認を自動化していく取り組みとして紹介されています。人間だけで膨大なテストをこなすには時間も人手も必要になるため、こうした工程にAIを取り入れること自体には肯定的な意見も出ています。
考えてみれば、同じ条件で何度もゲームを動かし、正常に処理されるかを確かめるのであれば、自動化と相性のいい部分は確かにあります。
人間では現実的ではない回数の操作を試せるようになれば、それまで見つけにくかった不具合を発見できる可能性もあります。AIを使ったという事実だけを切り取って、「だから品質が悪くなった」と結論づけるのは少し違うはずです。
むしろ気になるのは、AIにどこまで任せ、その結果を人間がどう確認するのかという部分です。
「正常に動く」と「遊んで気持ちいい」は同じではない
ここで、先ほど紹介した操作性やテンポの問題が効いてきます。
ゲームが正常に起動する。入力すればトルネコが移動する。階段を使えば次のフロアへ進み、経験値が一定まで貯まればレベルも上がる。
システムの動作だけを確認するなら、これらが想定した結果になっているかを判定することはできます。
しかし、実際にゲームを遊ぶ人が感じているものは、それだけではありません。
斜めへ移動しようとしたときの操作がしっくりこない。レベルアップするたびに妙な間を感じる。現在位置を確認したいのにミニマップが見づらい。メッセージを読んでいると改行位置が妙に気になる。
一つひとつを見ると、ゲームを停止させるほど重大な問題ではありません。それでも、遊んでいる最中に何度も同じ引っかかりを感じれば、最終的には「なんだか遊びにくい」という印象になって返ってきます。
『トルネコの大冒険』の場合、この違いはなおさら無視しにくいところがあります。一歩動いて状況を確認し、敵の位置を見ながらもう一歩進むという細かな操作を延々と繰り返すため、その一回一回の手触りまで含めてゲームになっているからです。
つまり、処理として正しく動いていることと、ゲームとして気持ちよく遊べることの間には、思っている以上に距離があります。
問題はAIそのものではなく使い方ではないか
だからといって、AIによる品質テストをやめて、すべて人間の手に戻せば解決するという話でもありません。
大量のテストを効率化し、さまざまな条件でゲームを動かせるのであれば、AIや自動化を利用する価値はあります。実際に今回の議論でも、AIの導入そのものを否定するのではなく、最終的な品質を確認する人間側に問題があるのではないか、という見方が出ています。
たとえば、何千回という操作を繰り返して異常が発生しないか調べる作業と、コントローラーを握って数十分遊び「この操作感で本当に発売していいのか」と判断する作業では、求められるものが違います。
前者を自動化して効率を上げながら、後者には人間が時間を使う。そう考えれば、AIと人間はどちらか一方を選ぶ存在ではなく、それぞれ得意な部分を受け持つ関係にもできます。
今回引っかかるのは、その後者で気づけそうな違和感がいくつも指摘されていることです。
しかも『トルネコの大冒険』は、今回初めて世に出るゲームではありません。かつて同じダンジョンを何度も歩き、何度も倒され、それでもまた潜ったプレイヤーがいる作品です。
そうしたゲームをリマスターするとき、「問題なく動く」だけでは測れないものがあります。
昔遊んだ人の中に残っている、あの操作感やテンポをどこまで守れるのか。
AIによる品質テストをめぐる話を追っていくと、結局はリマスターというものが何を残し、何を現代向けに変えるべきなのかという、もっと根本的な問題にもつながってきます。
リマスターだからこそ「原作の手触り」が重要になる
先ほど触れた「正常に動いていること」と「遊んでいて気持ちいいこと」の違いは、リマスター作品を考えるうえでかなり重要です。
完全新作であれば、プレイヤーにとって操作方法もゲームのテンポも初めて触れるものです。多少独特な部分があったとしても、それを含めて新しいゲームの特徴として受け入れられることがあります。
一方、リマスターにはすでに比較対象となる原作があります。
特に『トルネコの大冒険 不思議のダンジョン』のような作品では、昔遊んでいた人ほど「こういうゲームだった」という感覚が残っています。ダンジョンを一歩ずつ進んでいくテンポ、敵と向き合ったときの操作、アイテムを使って危機を切り抜けるまでの流れなど、細かな部分まで含めて記憶されている人もいるはずです。
だからこそ、リマスターではグラフィックを現代の環境に合わせたり、遊びやすい機能を追加したりするだけでなく、原作を遊んだときの感触をどこまで残せるかも重要になってきます。
古い部分を直せば、それだけで良いリマスターになるわけではない
もちろん、昔のゲームをそのまま現在の環境へ持ってくればいいわけでもありません。
当時は普通だった仕様でも、現在遊べば不便に感じる部分はあります。画面の見やすさを改善したり、操作方法を現在のゲーム機に合わせたり、待ち時間を減らしたりすることで、原作より快適になることも十分に考えられます。
難しいのは、その改善がどこから「別の感触」に変わってしまうのかという境目です。
たとえば移動操作を変更した結果、以前より便利になったとしても、思った方向へ素早く動けなくなれば快適になったとは感じにくくなります。演出を新しくしたところで、そのたびにゲームの流れが止まっているように感じれば、見た目が豪華になったことよりテンポの悪さが印象に残るかもしれません。
つまりリマスターでは、古いものを新しくするだけでは足りず、何を変えて、何を変えないのかを見極める作業が必要になります。
不思議のダンジョンは「一手の感触」が積み重なるゲーム
この点で、『トルネコの大冒険』は特に繊細な作品だと感じます。
ダンジョンを歩き、敵が近づいてきたら距離を測り、攻撃するのか逃げるのか、それともアイテムを使うのかを考える。その判断を一手ずつ積み重ねていくことが、不思議のダンジョンの面白さにつながっています。
派手な演出を長時間眺めるゲームではなく、プレイヤー自身が細かな操作を何度も繰り返すからこそ、その操作部分にわずかな引っかかりがあるだけでも影響は大きくなります。
今回挙げられている斜め移動やレベルアップ時の間、階段移動後の挙動、ミニマップの見づらさといった問題も、まさにそうした部分に集中しています。
一つだけなら「少し気になる」で済むかもしれません。それがゲーム中に何度も繰り返されるとなれば、話は変わってきます。
原作を知っている人であればなおさら、「昔はこんなところで引っかからなかった」という比較も自然に生まれます。新しく追加された要素だけで評価される新作とは違い、過去のプレイ体験そのものが評価基準として存在するわけです。
原作を知っている人間が遊ぶ意味は、むしろ大きくなる
そう考えると、先ほどのAIテストの話も少し違って見えてきます。
大量の操作を自動化し、不具合を探すことができたとしても、「トルネコを遊んでいる感覚としてこれは自然なのか」という判断には、原作との比較が入ってきます。
ここは単純な正常・異常だけでは判定しにくい部分です。
むしろ技術によってテストを効率化できるようになったからこそ、人間が確認するべきところまで機械的なチェックに置き換えてしまわないことが重要なのかもしれません。原作を知っている人が実際にコントローラーを握り、ダンジョンへ潜ってみれば、そのゲームらしさが残っているのかを感覚として確かめられます。
リマスターには、映像を綺麗にすることとも、不具合をなくすこととも少し違う難しさがあります。
「あのゲームが帰ってきた」と感じてもらえるか。
結局のところ、昔の作品を現代へ蘇らせるうえで最後まで残るのは、この数字では測りにくい部分なのだと思います。
AI時代だからこそ最後は「人が遊ぶ」が重要なのかもしれない
ここまで見てきた内容を振り返ると、今回の問題を「AIを使ったから品質が落ちた」という単純な話にまとめるのは適切ではありません。
ゲーム開発には膨大なテストが必要ですし、その一部をAIや自動化によって効率化できるのであれば、活用する意味は十分にあります。実際、今回の議論でもAIによるテストそのものを否定するのではなく、最終的な確認を行う人間側の問題ではないかという意見が出ています。
ただ、その一方で見過ごせないのが、今回指摘された違和感の多くが、実際にゲームを遊んだときに気づくものだったことです。
斜め移動がしっくりこない。レベルアップするたびに妙な間を感じる。ミニマップが見づらい。メッセージの改行位置が気になる。
どれもプログラムが完全に停止するような問題ではありません。それでも、プレイヤーが何時間も遊ぶゲームとして考えれば、一つひとつの違和感を「動作しているから問題ない」で済ませるわけにはいかないはずです。
AIが見つける不具合と、人間が感じる違和感は少し違う
AIや自動化によるテストが得意とする部分と、人間が実際に遊ぶことで気づく部分は、そもそも同じではないと考えた方が自然です。
たとえば、特定の操作を何千回と繰り返したときにエラーが発生しないか確認したり、さまざまな条件でゲームを動かして異常を探したりする作業なら、自動化によって確認できる範囲を大きく広げられます。
一方、「この操作を何度も繰り返していると疲れる」「この一瞬の間がゲームの流れを止めているように感じる」といった感覚は、少し性質が違います。
特にゲームの場合、正しい結果が返ってくれば終わりではありません。
ボタンを押した瞬間の反応、キャラクターが動く速さ、情報の見つけやすさ、演出が終わって再び操作できるまでの時間。そうした細かな要素が積み重なって、最終的に「遊びやすい」「気持ちいい」という感覚が作られていきます。
今回、ユーザーから「人間が少しでも触れば気づくのではないか」という趣旨の批判が出た背景にも、こうした部分への不満があったことがうかがえます。
AIを使うほど、人間にしかできない確認が見えてくる
だからこそ、AIによるテストが進化することと、人間によるテストが不要になることは別の話です。
むしろ単純な反復作業や大量のパターン確認を自動化できるようになれば、人間は「実際に遊んだときにどう感じるのか」という部分へ、より時間を使えるようになります。
そこで必要になるのは、ただ決められたチェック項目を消化するだけではなく、一人のプレイヤーとしてゲームを遊ぶことなのだと思います。
数十分ダンジョンへ潜ってみる。何度も斜め移動してみる。レベルアップを繰り返し、階段を降り、ミニマップを見ながら探索する。
その途中で何度も同じところが気になったのであれば、たとえ仕様どおりに動いていたとしても、「これは本当にこのままでいいのか」と立ち止まる必要があります。
ましてリマスターなら、原作を知っている人だからこそ分かる感覚もあります。新しくなった部分を確認するだけではなく、「このゲームを昔好きだった人が触ったとき、どう感じるか」という視点まで品質確認に含めてほしいところです。
技術が進んでも、最後にゲームを遊ぶのは人間
今回の『トルネコの大冒険』リマスターをめぐる話は、AIをゲーム開発に使うべきか否かという二択だけで考えると、本質を見失ってしまいます。
AIを使って効率化できるところは効率化する。それによって浮いた時間や人手を、機械的には判断しにくい操作感やテンポ、見やすさの確認へ振り向ける。そうした使い分けができるのであれば、AIはゲームの品質を落とすものではなく、むしろ品質を高めるための道具にもなります。
問題になるのは、効率化すること自体が目的になり、その先にいるプレイヤーの感覚が置き去りになったときです。
資料の終盤では、効率化やコスト削減を進めた結果として、ゲームにとって大切な部分まで失われてしまったのではないか、という厳しい見方まで示されています。
AIがどれだけ高度になっても、完成したゲームを買い、コントローラーを握り、面白いかどうかを感じるのは人間です。
だからこそ開発の途中でも、最後の最後には人が遊んで確かめる。
今回の一件から見えてくるのは、そんな当たり前に思える工程が、AIによる自動化が進んでいく時代だからこそ、以前にも増して重要になっているということではないかと思います。
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