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【小島秀夫監督に何が起きた?】新作「PHYSINT」がPlayStationを離れた理由――天才クリエイターでも避けられないゲーム業界の現実

【小島秀夫監督に何が起きた?】新作「PHYSINT」がPlayStationを離れた理由――天才クリエイターでも避けられないゲーム業界の現実

今回の話を最初に見たとき、「小島秀夫監督とPlayStationの関係が終わったのか?」と驚いた人も多かったと思います。長年ゲーム業界を見てきた人ほど、小島監督とPlayStationの組み合わせには特別な印象がありますし、独立後の『DEATH STRANDING』を含めても、両者はかなり深い関係を築いてきました。

ところが、その関係の中から生まれるはずだった新作「PHYSINT」を巡って、想定していなかった動きが起きています。

そもそもPHYSINTは、2024年の「State of Play」で発表された完全新規のプロジェクトです。小島監督が独立してから手掛ける新たなオリジナルIPで、アクションと諜報要素を軸にした作品として構想されており、小島監督自身にとってもかなり重要なタイトルとして位置づけられていました。

メタルギアシリーズを知っている人であれば、「小島監督がもう一度、本格的な諜報アクションを作る」というだけでも気になるところです。しかもPlayStationと組んで制作するとなれば、発表当時に期待が集まったのも無理はありません。

その後、『DEATH STRANDING 2』の開発が一区切りしたことで、PHYSINTも本格的に動き始めたと見られていました。キャストやアートの一部も公開され、少しずつ作品の輪郭が見え始めていた段階だったわけです。

だからこそ、今回の発表はかなり意外でした。

PlayStation側は、慎重に検討した結果としてPHYSINTとのコラボレーションから手を引くことを決定。一方、小島プロダクション側は、制作中だったPHYSINTについてPlayStation側からキャンセルの通達を受け、その後もプロジェクトを存続させるため、新しいパートナーを探し続けていたと説明しています。

ここで少し引っかかるのが、両者の発表から受ける印象が微妙に違うことです。

PlayStation側から見ると、「慎重に検討した末に撤退を決めた」という経営判断に近い表現になっています。それに対して小島監督側は、突然キャンセルの通達を受けたというニュアンスがあり、PHYSINTを何としても継続するために動いていたことが伝わってきます。

もちろん、実際に両者の間でどのような話し合いが行われていたのか、契約条件がどうなっていたのかまでは公開されていません。そのため、「ソニーと小島監督が決裂した」といったところまで話を広げてしまうのは早計です。

重要なのは、PHYSINTそのものが消滅したわけではないという点です。

PlayStationとの制作体制は終了したものの、小島監督はその後およそ3か月にわたって新しいパートナーを探し、最終的にXboxと再びタッグを組むことになりました。小島プロダクションとXboxは、すでに「OD」という別プロジェクトでも協業しているため、まったく関係のなかった企業へ突然移ったわけでもありません。

つまり今回起きたのは、「小島監督の新作が開発中止になった」という話ではなく、PHYSINTを誰と、どのような形で作っていくのかという制作体制が大きく変わった出来事と考えた方が近いと思います。

ただ、ここまで聞くと次に気になるのは、やはり一つです。

なぜPlayStationは、小島秀夫という世界的にも知名度の高いクリエイターとのプロジェクトから手を引いたのか。

小島監督の知名度を考えると、一見すると不可解な判断にも映ります。ただ、この話を「ソニーが小島監督を切った」という一言だけで片付けてしまうと、今回の出来事の本質をかなり見落としてしまいます。

実際には、現在のゲーム開発費、小島プロダクションというスタジオの制作スタイル、そして出資する企業側が背負うリスクまで見ていくと、少し違った景色が見えてきます。

そして、ここからが今回の話で一番興味深い部分です。

なぜPlayStationは小島秀夫監督の新作から撤退したのか

では、なぜPlayStationはPHYSINTから手を引いたのか。ここが今回の話で最も気になるところですが、まず前提として、両社の契約内容や具体的な撤退理由は公表されていません。

そのため、「これが原因だった」と断定することはできないものの、現在のゲーム開発を取り巻く環境まで含めて考えていくと、一つの大きな問題が浮かび上がってきます。

それが、小島秀夫というクリエイターに投資する魅力と、そこに巨額のお金を投じるビジネス上のリスクは、必ずしも一致しないということです。

小島監督ほど世界的な知名度を持つ人物であれば、「新作を出せば普通に売れるのでは?」と思ってしまいます。ただ、ゲームを買う側から見た感覚と、開発費を負担する側から見た景色はかなり違います。

現在の小島プロダクションが作るゲームは、決して小規模な作品ではありません。大勢のスタッフが何年も開発に携わり、著名な俳優をキャスティングし、モーションキャプチャーを使って演技を収録するなど、作品を一本完成させるまでに相当なコストが必要になります。PHYSINTについても、そうした小島作品らしい制作スタイルを考えれば、出資する側にとって決して軽いプロジェクトではなかったと考えられます。

しかも、PHYSINTは人気シリーズの続編ではなく完全新規IPです。

ここはかなり重要で、たとえば長く続いている人気シリーズであれば、前作までの販売実績や既存ファンの規模から、ある程度は次回作の売上を予測できます。一方で完全新規IPの場合、小島秀夫という強力な名前が付いていたとしても、実際に何人が購入してくれるのかは発売してみるまで分からない部分が残ります。

つまり、開発費は大きいのに、売上は読みづらい。

プレイヤーからすれば「小島監督が新しいゲームを作る」というだけで魅力になりますが、何年も先の発売を見据えて巨額の資金を投入する企業からすると、それだけで投資を決断できるとは限りません。作品への期待と投資判断は、そもそも別の話なのです。

だからこそ、今回の件を「PlayStationは小島監督の価値が分からなかった」と片付けてしまうと、少し見方が単純になりすぎます。

むしろPlayStation側も、小島監督だからこそ長年一緒に仕事をしてきたと考えた方が自然です。独立後の小島プロダクションと『DEATH STRANDING』を世に送り出し、その後もPHYSINTという完全新規プロジェクトを発表するところまで関係が続いていたわけですから、小島監督のクリエイターとしての価値そのものを否定したとは考えにくいところがあります。

それでもPHYSINTから撤退したのであれば、問題になったのは「小島秀夫という人物に価値があるか」ではなく、現在の事業環境の中で、このプロジェクトへ資金を投入し続けることが合理的なのかという部分だった可能性があります。

そして、この違いはかなり大きいと思います。

ゲームファンが求めているのは、必ずしも安全に売れる作品ばかりではありません。「次は何を作るんだろう」と想像できないような作品だったり、他では味わえない世界観だったり、時には遊ぶ側まで戸惑わせるような尖ったゲームに惹かれることもあります。

ただ、それを作るにはお金がかかります。

さらに開発期間が長くなれば、その数年間は人件費を払い続けなければならず、完成するまで大きな売上も発生しません。しかも発売した作品が高く評価されたからといって、その評価がそのまま投じた開発費の回収につながる保証もないわけです。

ここに、今のゲーム業界が抱えている難しさがあります。

「すごいゲームを作れる人」と「安心して巨額のお金を預けられるプロジェクト」は、似ているようで同じではありません。

小島監督の場合、このズレが普通のクリエイター以上に大きくなりやすいのかもしれません。なぜなら、既存の成功パターンを繰り返すよりも、一作品ごとに新しい世界や遊びを作ろうとするタイプだからです。

プレイヤーにとっては、そこが小島作品を追いかけたくなる理由になります。しかし出資する側から見れば、毎回ゼロに近いところから新しい商品を立ち上げることにもなり、過去の成功をそのまま次の売上予測へ当てはめにくくなります。資料でも、こうした制作スタイルはプレイヤーには魅力的である一方、出資者にとっては収益を計算しにくい構造として語られています。

そう考えると、PHYSINTからの撤退は、小島監督の才能そのものに対する評価とは別のところで起きた話なのかもしれません。

そして実は、この「優れたクリエイターであること」と「企業にとって投資しやすいこと」が一致しないという問題こそ、小島秀夫という人物を考えるうえで非常に面白いところでもあります。

なぜなら小島監督のゲーム作りは、現在主流になりつつあるゲームビジネスとは少し違う方向を向いているからです。

小島秀夫というクリエイターは「ゲーム監督」より映画監督に近い

では、小島監督のゲーム作りは何が特殊なのか。

ここを考えていくと、個人的には「ゲームクリエイター」という言葉だけでは少し収まりが悪いように感じます。もちろんゲームを作っている人には違いありませんが、作品との向き合い方を見ていると、むしろ一本の作品に自分の思想を刻み込んでいく映画監督に近いタイプのクリエイターと考えた方が分かりやすい部分があります。

たとえば小島作品では、単にゲームとして面白い仕組みを作って終わるのではなく、その世界で何を描くのかという部分までかなり強く意識されています。

社会や政治、人間同士のつながり、戦争、死といったテーマを物語へ持ち込み、それをゲームという形でプレイヤー自身に体験させていく。こうした作家性を持ちながら大規模なゲームを作り続けていること自体が、小島監督の大きな特徴だと思います。

さらに特徴的なのが、作品ごとに世界そのものを作り直していくところです。

今のゲーム業界では、一度成功したIPを長く育てていくビジネスモデルが珍しくありません。人気シリーズの続編を作り、そこで生まれたキャラクターや世界観を次の作品にも活用していけば、完全なゼロから始めるより開発面でも販売面でも見通しを立てやすくなります。

ところが、小島監督はそこから少し外れたところにいます。

監督自身が作品の顔となり、著名な俳優をキャスティングしながら、一作品ごとに新しい世界を立ち上げていく。その制作スタイルは、同じシリーズを何年も運用していくというより、監督の名前そのものを看板にして一本の作品を世に送り出す映画の作り方に近いものがあります。

だから、小島作品を追いかけている側からすると面白いんです。

「次はメタルギアのようなゲームを作ります」「次もDEATH STRANDINGと同じものを作ります」と決まっているわけではなく、次に何を持ってくるのか簡単には読めません。それでも「小島秀夫が作るなら見てみたい」と思わせるだけの力が、監督自身の名前についています。

これはゲーム業界ではかなり特殊な存在です。

映画なら「この監督の新作だから観に行く」という選び方がありますが、ゲームの場合はシリーズ名やジャンル、メーカー、口コミなどを基準に購入する人も多く、クリエイター個人の名前だけで大規模作品への注目を集められる人物は、それほど多くありません。

小島監督の場合は、その数少ない例に入ると思います。

ただし、ここには前の話ともつながる厄介な問題があります。

クリエイターとして突出していることが、そのままビジネス上の扱いやすさにつながるわけではないということです。

むしろ、自分が作りたいものを強く持っているクリエイターほど、作品ごとに新しい挑戦をしたくなります。細部までこだわれば開発には時間がかかり、表現したいものが大きくなれば必要な人員や技術、キャストも増えていく。その結果として作品の個性は強くなる一方、企業側から見れば投資額も膨らみやすくなります。

ここが、小島監督という存在の面白さであり、難しさでもあります。

ゲームを遊ぶ側からすれば、「そんな採算のことは気にせず、好きなものを作ってほしい」と言いたくなるところです。実際、既存の成功パターンを繰り返すのではなく、毎回違ったものを見せてくれることに価値を感じているファンもいると思います。

しかし、100億円単位にもなり得る規模のゲーム制作となれば、クリエイター一人の情熱だけでは完成まで持っていけません。制作を支える企業がいて、その企業にも社員や株主がいて、投じた資金を回収する必要があります。

つまり、小島監督のような強烈な作家性を持つ人物ほど、「自由に作らせた方が面白い」というクリエイター側の論理と、「投資した金額を回収できるのか」という企業側の論理がぶつかりやすくなるわけです。

そして、この構図を見ていると、今回のPHYSINTだけではなく、どうしても思い出す出来事があります。

小島監督がかつて所属していたコナミとの関係です。

実はコナミ時代にも似たことが起きていた

ここまでPHYSINTを巡る一連の流れを見てくると、どうしても重なって見えるのが、小島監督が2015年にコナミを離れたときの出来事です。

当時を知っている人なら、小島監督とコナミの関係について「確執があった」「会社から追い出された」といった話を一度は目にしたことがあると思います。実際、両者の関係を巡ってさまざまな憶測が飛び交い、その印象は現在までかなり強く残っています。

ただ、今回のPHYSINTと同じように、誰か一人を悪者にしてしまうと見えなくなる部分もあります。

少し距離を置いて考えると、そこには小島監督が目指すゲーム作りと、企業が求める経営上の合理性が噛み合わなくなっていく構造がありました。

そもそも小島監督の作品は、短期間で次々と完成させられるタイプのゲームではありません。

大規模な開発チームを動かしながら、技術にも演出にもこだわり、長い時間をかけて一本の作品を完成させていく。完成したゲームが他では味わえないものになる一方で、企業から見れば、その期間は継続して大きな開発費を負担することになります。

ここで難しいのが、良いゲームを作ることと、企業として効率よく利益を出すことは必ずしも同じ方向を向いていないという点です。

時間と予算を惜しまず使えば、それだけ作品を磨き込める余地は増えます。しかし、企業側には「その追加した一年と予算によって、売上がどれだけ増えるのか」という別の問題が出てきます。

クリエイターからすれば必要な一年でも、経営側からすれば回収できるか分からない一年になることがある。その認識の差が大きくなっていけば、どれだけ実績のあるクリエイターであっても、いつか会社の方針とぶつかる可能性があります。

コナミ時代の出来事も、そうした視点から見ると少し印象が変わります。

小島監督は『METAL GEAR SOLID』という世界的なシリーズを生み出した人物であり、クリエイターとして大きな価値を持っていました。その一方で、会社の経営方針が変わっていけば、長期間と大きな予算を必要とするゲーム制作が、それまでと同じ優先順位で扱われ続けるとは限りません。

そして最終的に、小島監督はコナミを離れて独立することになります。

もちろん、コナミ時代と今回のPHYSINTをまったく同じ出来事として扱うことはできません。会社内部の話と、独立したスタジオとプラットフォームホルダーの共同プロジェクトでは、そもそもの関係が違います。

それでも、少し引いて見ると似た構図が浮かんできます。

一方には、時間とお金をかけてでも自分にしか作れない作品を完成させようとするクリエイターがいる。もう一方には、限られた資金をどこへ投入すれば事業として成立するのかを判断しなければならない企業がある。

そして、両者の目指している方向が一致している間は、非常に強い組み合わせになります。

実際、小島監督は企業の資金や技術的な支援があったからこそ、個人では到底実現できない規模の作品を世に送り出してきました。企業側にとっても、「小島秀夫の新作」という存在そのものが、自社のゲーム事業を象徴する大きな価値になり得ます。

問題は、そのバランスが崩れたときです。

作品をさらに良くするために時間と予算を使いたいクリエイターと、投資額や開発期間を一定の範囲に収めたい企業。この二つが離れていけば、どちらかが一方的に間違っていなくても、一緒にゲームを作り続けることが難しくなります。

だから今回のPHYSINTについても、「また小島監督が大企業から切られた」とだけ見るのは、少し違う気がします。

むしろ興味深いのは、コナミを離れて自分のスタジオを立ち上げた後でさえ、小島監督が巨大なゲームを作り続ける限り、この問題から完全には自由になれないことです。

独立すれば、自分たちが作りたいゲームを作りやすくなります。ただし、数百人規模のスタッフを動かし、何年もかけて大作を完成させるとなれば、その資金をどこかから用意しなければなりません。そうなれば今度は、会社の上司ではなく、出資してくれるパートナーとの関係が重要になってきます。

所属する会社から独立しても、ゲーム制作そのものが巨大産業である以上、クリエイターと資本の問題は残り続けるわけです。

ここまで考えると、今回の出来事は「小島秀夫とPlayStationの問題」というより、もっと大きな話に見えてきます。

そして、その先にあるのが今のゲーム業界そのものが抱えている、**「作家性の高いゲームを、巨大化した開発ビジネスの中でどう成立させるのか」**という難題です。

「作家性が高い=売れる」とは限らないゲーム業界

ここまで考えてくると、PHYSINTを巡る出来事は、小島監督だけに起きている特殊な問題ではないことが見えてきます。

むしろ背景にあるのは、ゲーム一本を完成させるために必要な人員、時間、そして開発費が膨らんだことで、大作ゲームほど「失敗できない商品」になっているという現在のゲーム業界そのものの難しさです。

プレイヤーとしてゲームを見ていると、どうしても「面白いゲームなら売れる」「評価の高い作品を作れば次も予算を出してもらえる」と考えたくなります。

ところが、ビジネスとして考えると話はそこまで単純ではありません。

仮に一本のゲームを完成させるまでに何年もの時間と巨額の資金が必要になれば、発売して100万本、200万本と売れたとしても、それだけで十分な利益が残るとは限らなくなります。しかも開発している数年間にもスタッフの人件費や設備費などは発生し続けるため、作品が完成する前から相当な資金を投入しなければなりません。

当然、出資する企業も慎重になります。

そこで強くなってくるのが、まったく新しい作品へ大きく賭けるよりも、すでに人気が確立しているシリーズを育て、長期間にわたってIPを運用していく考え方です。

実際、今回の話でも、現在のゲーム業界は続編によって比較的手堅く利益を出し、一つのIPを何年も運用するフランチャイズ型に近づいている一方、作品ごとに新しいものを作る小島監督のスタイルは、毎回ゼロから勝負することになるためビジネス上のリスクが高い、という対比が出てきます。

これはゲーム会社の立場になって考えれば、かなり分かりやすい話でもあります。

前作が500万本売れたシリーズの新作と、同じ規模の予算を必要とする完全新規IPが並んでいた場合、どちらに資金を出すか。もちろん作品ごとの事情はありますが、少なくとも販売本数を予測しやすいのは前者です。

人気シリーズであれば、キャラクターも世界観もすでに知られていますし、発売を発表した時点から一定数のファンが反応してくれます。一方の新規IPは、どれだけ面白い企画だったとしても、その魅力をゼロから伝えていかなければなりません。

小島秀夫という名前は、その不利をかなり小さくできるほど強いブランドだと思います。

それでも、PHYSINT自体は完全新規IPです。過去の小島作品を好きだった人が興味を持つ可能性は高くても、その全員が新作を購入するとは限らず、過去シリーズの販売実績をそのまま当てはめることもできません。

ここで少し皮肉なのが、ゲームファンがクリエイターに求めるものと、ゲーム会社が事業として求めるものが逆方向へ進む場合があることです。

遊ぶ側からすれば、せっかく新しいゲームを買うなら、今まで見たことのない世界を見せてほしいと思います。既存作品のコピーではなく、新しいシステム、新しい物語、新しい遊び方に触れたときこそ、「このゲームを遊んで良かった」と感じることもあります。

しかし、新しいことをするほど前例がありません。

前例がなければ売上も予測しにくくなり、開発途中で想定外の問題が起きる可能性も高まります。そこへAAAクラスの開発費が乗ってくれば、「面白そうだから作ってみよう」だけでは動かせない金額になっていきます。

そうなると企業側が、続編や既存IPを選びたくなるのも理解できます。

だからといって、それを繰り返した先に何が残るのかという別の問題も出てきます。

成功したシリーズの続編、リメイク、既存IPを利用した新作。もちろん、それらが悪いわけではありませんし、続編だからこそ前作から積み上げられる面白さもあります。

ただ、失敗する可能性を減らすことばかりが優先されれば、誰も最初の一歩を踏み出さなくなります。

今では巨大なシリーズになっている作品だって、最初の一本が作られた時点では新規IPだったはずです。それにもかかわらず、ゲーム開発の規模が大きくなればなるほど、新しいものを生み出すためのハードルまで高くなってしまう。この矛盾は、今後さらに重くなっていくのかもしれません。

だから今回のPHYSINTを巡る一件も、「PlayStationが小島監督を手放した」という話だけで見ると、少しもったいない気がします。

むしろ考えさせられるのは、小島秀夫ほど名前と実績を持ったクリエイターであっても、新しい大作を作ろうとすれば資金の問題から逃れられないという現実です。

評価される作品を作れること、他の誰にもない作家性を持っていること、そしてその作品へ巨額の投資を続けられること。この三つは似ているようで、実際には別々の問題になっています。

それでも個人的には、小島監督のような人が「売れると分かっているもの」だけを作るようになったら、それは少し寂しいとも感じます。

何が出てくるのか分からない。それでも次の作品を見てみたくなる。

その予測できなさこそ、小島秀夫というクリエイターを追いかける面白さの一つだからです。

それでも小島秀夫監督のようなクリエイターが必要だと思う

ここまでの話だけを見ると、小島監督のように開発費がかかり、しかも次に何を作るのか予測しにくいクリエイターへ巨額の資金を投入することは、ゲーム会社にとってかなり難しい選択に見えてきます。

ただ、だからといって効率や採算性だけでゲーム作りを考えてしまうと、今度は別のものを失ってしまう気がします。

それが、「こんなゲームを誰が考えたんだ」と驚かされる体験そのものです。

小島作品を振り返ってみても、最初から万人に分かりやすいものばかりを作ってきたわけではありません。むしろ社会性や哲学的なテーマまで作品へ持ち込みながら、それをゲームだからこそ成立する体験へ落とし込んでいくところに、小島監督ならではの作家性があります。

特に『DEATH STRANDING』は、その分かりやすい例だったと思います。

荷物を背負って広大な土地を歩き、人と人とのつながりをゲームシステムそのものへ組み込んでいく。少なくとも「すでに売れているゲームと同じものを作ればいい」という発想から生まれた作品ではありません。

もちろん、そうしたゲームがすべて成功するとは限りません。

新しいものを作れば、プレイヤーに受け入れられない可能性もありますし、制作側が面白いと思っていた仕組みが実際にはうまく機能しないこともあります。だから企業が続編や既存IPを重視すること自体は、経営判断として理解できます。

それでも、ゲームという娯楽が今後も面白いものであり続けるためには、どこかで誰かがそのリスクを引き受け、新しいものを作らなければなりません。

小島監督は、まさにそこへ踏み込める数少ないクリエイターの一人だと思います。

しかも面白いのは、今回PlayStationとの制作体制が終わったにもかかわらず、PHYSINTそのものを諦めなかったことです。

キャンセルの通達を受けたあと、新しいパートナーを約3か月にわたって探し続け、最終的にはXboxと再び組むことでプロジェクトを継続する道を選んでいます。

普通に考えれば、かなり大きなトラブルです。

すでに進んでいたプロジェクトから出資側が離れれば、開発計画そのものを見直す必要も出てきます。それでも別のパートナーを探してPHYSINTを残したということは、小島監督にとって、この作品は簡単に手放せる企画ではなかったのだと思います。

そして、新たな相手となったXboxとの関係も気になるところです。

小島プロダクションはすでに「OD」でXboxと組んでいるため、今回初めて一緒に仕事をするわけではありません。開発を進めるうえで、相手がどこまで制作へ関わってくるのか、どのような形で資金や技術面を支援するのかといった部分も、ある程度は互いに理解したうえでの再タッグと考えられます。

そう考えると、今回の出来事を必ずしもPHYSINTにとって悪い方向だけに捉える必要もないと思います。

PlayStationとの関係が変わったこと自体は驚きですが、大切なのは「どの会社から出るのか」だけではなく、小島監督がPHYSINTで何を作ろうとしているのか、そしてそれを最後まで作れる環境を確保できるのかという部分です。

むしろ、ここから本当に面白くなってくる可能性もあります。

かつて『METAL GEAR SOLID』で諜報アクションというジャンルを世界的なシリーズへ育てた人物が、長い時間を経て、今度は過去のシリーズとは別の完全新規IPとして同じ領域へ戻ってくる。その時点で、PHYSINTには他の新作とは少し違った意味があります。資料でも、発表当初から次世代のアクション・諜報作品として位置づけられ、小島監督にとって節目となるプロジェクトとして語られていました。

だから今回の一件を見ても、「小島監督はもう厳しい」とはあまり感じません。

むしろ逆で、これだけゲーム開発が巨大化し、企業側も失敗を避けなければならなくなった時代だからこそ、それでも新しいものを作ろうとするクリエイターがどこまでやれるのかを見てみたいと思います。

PHYSINTが最終的にどんな作品になるのか、現時点ではまだ分かりません。

ただ、少なくとも今回の騒動によって一つはっきりしたことがあります。

小島秀夫というクリエイターは、PlayStationとの制作体制が崩れたからといって、自分が作ろうとしていたものまで手放す人ではなかったということです。

ゲーム業界が安全な選択を求める方向へ進んでいるからこそ、その流れから少し外れたところで何かを作ろうとする人がいる。

そして個人的には、そんなクリエイターがまだゲーム業界にいること自体を、これからも楽しみにしていたいと思います。

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